在宅介護という名の過酷にして壮絶な終わりなき戦いの日々 自分の病気、ジツボとの関係 荒野に俺は一人だけ(笑)

乳ガン寛解に至るまで・12・完

約10年ぶりに訪れた飯田橋のハートクリニック(仮名)はEVを降りた先の入り口の自動ドアこそ変わりなかったが、

内部配置が大幅に変わっていて、以前は広すぎて閑散とした印象の強かった待合フロアは昔の半分に縮小され、
(現在は臨床検査室が充実し、元のフロアの半分使用)

待合も診察室もナースステーション兼処置室も以前は入り口から一目で見渡せたのに、今は随分入り組んだ間取りになっていて、かなりまごついたが、

パーテーションで区切られた女性専用待合に案内され、

持参したレントゲンや四谷の検査CD-R、診療情報提供書一式を提出し、待つこと小一時間。

名前を呼ばれ診察室に入ると、12年ぶりの、梅の花大学病院でワタシのサブドクターだったDr.Kと対面。
(現在は昭和大病院の乳腺部長をしておられるとかで)
(せんせー、ご立派になられて)
(昔の、梅の花で術前検査の細胞診して頂いた時、時々「おっと!」とか「セーフ〜」とかいうので何?それ何?ってヒヤヒヤした)

勿論、Dr.Kは12年前に担当した患者の一人に過ぎないワタシのことなぞ覚えている筈も無く、
(目が回るくらい多忙だった大学病院勤務時代だもの)

Dr.K「お持ち頂いたレントゲンと、四谷のマンモ拝見しましたが、手術していらっしゃるんでねえ。特に問題ないように見えるんですが、とにかく一度診察させてください」

で、触診の後、エコー(乳房に超音波をあて、はね返ってくる反射波を画像化した検査。乳房表面にゼリーを塗って、その上からプローブと呼ばれる機械をすべらせて、乳房内部を写す)して頂き、
echo.png
普通、終わると看護師さんがタオル(それもホットタオル)でゼリー拭き取ってくれるんだけど、ここではウエットティッシュ1枚(!)渡されて自分で拭くよう促されただけ。
足りなかったらティッシュ使ってくださいってティッシュボックス取ってくれたから遠慮なく2~3枚使ったけど、正直充分には拭ききれんかった。
両胸にゼリー塗りたくったんだから、ティッシュじゃサイズ的に無理じゃないすかー?せめてペーパータオルか、でもやっぱり綿タオルで拭きたかったわー。
(もしかして、ここは患者がタオル持参するの?)

服を戻して、診察椅子に戻ると、

Dr.K「シコリも無いし、四谷の写真と比べても検診のレントゲンと取り立てて変わった点はないから、大丈夫ですね。手術してるからこういう写り方になるんだと思います」

その一言に一気に脱力。

POTE「…えーと、こういう写り方って、それはー機械が古いってことですか?」

Dr.K「いやいや、機械というより、何と言うか、人かなー。読影する人によると言うかねー、e区さんって、今回に限らず昔からすぐ再検査で患者さん回してくるんですよ。でも、POTE村さんは術後12年だし、これで寛解と考えていいと思います。
e区宛には問題なしで返事しておきますから、これからは普通の検診でいいですよ」

寛解?寛解って言ったよね。

POTE「普通の検診て言いますと、今後は区の、年に1回くらいの検診でいいと?」

Dr.K「そのくらいのペースで充分です」

ワタシの住むe区は23区内で人口も面積も4位ですが、ガン死亡者数が比較的多く(東京全体を基準の100とした場合男性が111、女性が106)、昔から区としてはこの数字を下げるべく、ガン検診の推奨、助成に力を注いでおり、ガン疑いに対しやや過剰に精密検査を進める傾向にあるので、

今回のワタシの要精密検査もそういう流れだったらしい。

とはいえ、ただでさえ多忙な検査機関や医療従事者にとって、明確なクラスV(5)判定でも無いのにそう次から次と患者回されてもなーという本音もあるようで。

お忙しいところお手間とらせて申し訳ございません。
e区を代表してお詫び申し上げます。
お世話になりました。ありがとうございました。

兎にも角にも、大山鳴動して鼠一匹。
いや、騒いでたのはワタス一人だがな(泣笑)
しかし、キツかったわー。
生きた心地のしない2ヶ月だったわー。

これで乳ガンの方は目出度く寛解宣言を頂き、しつこい

今後は婆さま専属介護者として、
子宮ガン患者としてのフォローアップに勤しみつつ、
長生きして、
因業で強情で融通の利かないラスボスになって君臨したる と、
いやそれ、今までと変わらんてこと

決意も新たに、足取りも軽く帰路についたPOTEでありました。



本来なら、「検診行ったら要再検査だったけど、結局何でも無かったよー、てへぺろ」 で済むのに、
こんな冗長な自分語りに最後まで辛抱強くお付き合いくださった奇特な方には、衷心より、五体投地の勢いでお礼申し上げます。

らゔ。

次回はようやく10月の伊豆旅行記と、色々祝儀不祝儀の報告事項がてんこ盛り。






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乳ガン寛解に至るまで・11

そんなこんなで、

不器用で無愛想でガサツでひねくれ根性のワタクシが曲がりなりにもPOTE村家の在宅におけるキーパーソンとして、ケアマネ、往診内科医、デイ施設、老健デイケア、訪看、訪問入浴、訪問歯科との連携のもと万全なる体制を整え、

それでも常に予想の斜め上を行く認知症の多彩な言動に振り回され、すったもんだの挙句、2012.9に無事爺さまを自宅にて看取り、

以後、婆さま専属介護人に昇格して早や5年。

爺さま入院時に開設したブログは9年目に突入し、トップブロガーさん達との知己を得、

多くの友人知人戦友同志同胞に恵まれ、

去年、まさかの子宮体ガン罹患で、子宮卵巣全摘・リンパ郭清手術を受けるも、

乳ガン再発ということではなく、単発の子宮ガンで、
それでも10~12年周期で別のガン罹患って嬉しくないわー
やっぱり将来的にガン死のリスク高いわー

病理検査の結果、他臓器の転移は認められず、抗ガン剤治療なしで治療は終了。

以後定期健診でフォローアップという極めて幸運な現在に至り、

一方、POTE村家では婆さまの孫息子である甥くんが、遡ること2009の、爺さまがまだ健在だった頃によめ子ちゃんと結婚し、

2015に待望の長男、ひ孫王子が誕生。

以来、POTE村家的ヒエラルキーに於いて、ひ孫王子が燦然と頂点に君臨(笑)

その後、2017春、よめ子ちゃんはツイン姫ズを妊娠、

今後のことを考えたら大変だけど、良かったねったら良かったね♪と婆さまはじめ皆で喜んでいた陰で、

乳腺外科主治医の異動で、区の検診のマンモでクリア判定受けて、勝手に寛解宣言しちゃおーっと思ってたワタシの前に突きつけられた

「先日お受けになった乳ガン検診(マンモグラフィ検査)の結果、良性と考えられる病変が認められましたが、悪性も否定できないため精密検査が必要と判断しました(以下略)」

の通知により、

もうすぐひ孫ツイン姫ズがやって来る♪良かったねったら良かったね♪と平和に皆が盛り上がってる陰で、

相変わらずコソコソと(笑)

再検査診察してくれる病院(クリニック)を見つけ、揃えるべき資料を全部揃え、あとは10/14土の診察を待つだけ〜と構えていたオニヨメです



が、




心配ない、心配ない。

だって、子宮ガンの後の検査でも常に血液検査はクリアで、

区の医療センターでだって、腎臓も肝臓も肺も綺麗だって言われたんだから、

きっと術後の石灰化でも見て、機械的に要再検査に回されただけだよ。

乳ガンの手術して12年も経過してるんだから、今再発する可能性なんて10~20%も無い筈なんだから、気にすることなんかないって。



と、




自分自身を納得させようと懸命に努めながら、

「乳ガン検診 マンモグラフィーでの石灰化とは?」→なんつーサイトや再発の可能性の記事やらの検索が止まらない止まらない(大笑)

もーどんだけ小心者なのかっていうくらい、暇さえあれば「乳ガン再発」のキーワードでサーチしまくって、

「大丈夫だって、5年生存率は90~80%、更に10年20年と健康でいる人はほぼ寛解してるんだから」
「でも、10年目、20年目で再発してる人もいる」
「再発したからってすぐに死ぬわけじゃないし、薬でコントロールできてる人だって大勢いるじゃない」
「でも、乳ガンになっただけじゃなく子宮ガンにもなった。健常者より確率は高い」
「だけど両方とも抗ガン剤はしなかった。その強運を信じるべき」
「信じたところで、二つのガンを患ったことこそ現実」
「乳ガンで寛解した人は90%」
「でも残りの10%は再発してるってことで、その10%に入っていないとは言い切れない」
なんつー不毛にして堂々巡りの自問自答をひたすら繰り返し、胃がん発症するんじゃないかというくらい胃が痛み、
それ、ただのストレス。
12年前の告知されまでと全く同じパターンだったよ(苦笑)


運命の(だから大袈裟過ぎるって)10/14土、飯田橋のハートクリニック(仮名)に向かう。




続く

次です。次で終わります
こんな長いシリーズになるとは思わんかったわ







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乳ガン寛解に至るまで・10

車椅子の義両親二人同時の在宅介護なんて、絶対ひと月保ちませんと初代ケアマネの愛ある大反対を押し切って、
日頃温厚で穏やか〜なケアマネ氏が人が変わったように激昂して大反対されたのは、後にも先にも、この時だけ。
しますできます大丈夫ですと大見得切って二人介護を始めたものの、

ケアマネの危惧した通り、認知も入りだした爺さまと、頭はクリアでも脳梗塞半麻痺で自立とは程遠い婆さまのダブル介護は想像以上に過酷で、たったひと月で体力気力は限界を超え、
ワタシのバカバカ〜!


ケアマネ氏が八方手を尽くしてショート先やら訪看、訪問入浴等々を驚くほど短期で投入してくれて、なお、ワンオペ介護の壮絶にして過酷な日々は容赦なくワタシから生気を搾り取り、

苦しくて苦しくて苦しくて
切なくて切なくて切なくて
やめたくてやめたくてやめたくて
逃げたくて逃げたくて逃げたくて
寝ても寝ても疲れは取れず
悲しくもないのに涙が溢れ

じゃっくさんに「お前、鬱だ」と病院行きを強く勧められ、

近所の心療内科だとすぐバレて人に噂されそうだったので、わざわざ秋H原の心療内科を受診。

まず、問診を説明したところ、車椅子の義両親を一人で在宅介護している現状が無理すぎると指摘される。

ドクター「鬱は心の病気のように思われますが、実は身体の病気でもあるんです」

現状改善の為には義両親のどちらかを施設に入れるべきですと再度提案して頂いたが、それは無理なので、ドクターはあまり積極的ではなかったが、サインバルタという抗うつ剤を処方。

サインバルタは2010に登場した、第4世代の抗うつ剤と言われており、
緊張感・倦怠感の緩和、意欲や気力の充実といった効果があって、
うつまたはうつ状態き苦しむ多くの患者にとって「神薬」とも言われる、セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬で、

80~90%の人が症状の改善を実感という実績がある。

初めての抗うつ剤服用なので、当然初回は20mgの小さいカプセルの処方だったが、

残念ながら、ワタシには合いませんでした…


鬱屈した重苦しさが晴れ、ポジティブに〜と聞いていたのに、

服用して2~3日は変化なく、4日5日目に、来たよ来ましたよ(冷汗)。

まるで悪阻か(出産したことないけど)抗ガン剤副作用か(抗ガン剤やってないけど)というくらいの、吐き気、だるさ、食欲不振、しんどさでほとんど動くこともできなかったとゆー。

いや、正直参りました。

食事を作ることは何とか出来ても、それを食べることが出来なくて、

親戚(じゃっくさんの従兄弟)から送って頂いたりんごが一箱届いていたので、それだけをもそもそ齧りながらの生活は

まるで家畜同然。
いや、家畜は乳出したり卵産んだり食肉になったりしますけど、ワタシ何の役にも立たず、家畜以下の廃人でした。

処方して頂いた薬は2週間分でしたが、とても飲みきる自信もなく、

再度心療内科に電話し、お薬が合わないので変えて欲しい旨伝え、とにかく早急にもう一度受診して改めて相談したいと訴え、

翌週再診に行くと、その曜日は最初のドクターとは別のドクターで、

最初のドクターはメガネが似合う眞島秀和に似たシャープな感じの若い方でしたが、今度のドクターはかなり年上で、前田吟の頭髪をもうちょっと薄くしたような雰囲気の笑顔の優しい方で、
(以後Dr.吟)

しかも、気のせいかもしれないが、ぱっと見がじゃっくさんの叔父上によく似ていて、診察室で相対した時、(あ、おじさんだー)と思った。

そして、カルテの家族構成と現況に目を通したDr.吟から、最初のドクター同様、車椅子の義両親を一人で看るのは無理すぎると、こんこんと諌められ、
(もうね、話す人全員に悉く反対されたわー)
(賛成したのは実子さんだけ ぶひゃ)

POTE「でも、戦争を生き抜いて来た人達です。出来るだけご夫婦一緒にご自分の家で住まわせて差し上げたいだけなんです」

Dr.吟「そのお気持ちはとても立派ですけどね。でもね、あなたの腕は2本しかないんですよ。出来ないことをするのは、皆の不幸になります」

Dr.吟「一人の年寄りを看るのに3人の人間が必要と言われています。お舅さん夫婦をあなた一人で看るなんて、出来なくて当然ですよ。出来なくていいんです。よく一人でここまで頑張りましたよ。ケアマネさんは付いてないんですか」

POTE「ずっとお世話になっているケアマネさんがいます。二人を在宅で看るって言ったら、大反対されました」

Dr.吟「そうでしょう。それが本当ですよ。どちらか片方ずつでも施設に行ってもらわないと、今度こそあなたが倒れますよ」

Dr.吟「これは、鬱ではないと思います。あなた、疲れているんですよ。とにかく少しでも休むようにしましょう」
最初のDr.真島も鬱は心の病というより身体の病気だって言ってたなー。

Dr.吟「まず、薬を変えましょう。今度のお薬はね、緊張を取ってくれるお薬で、状態によってご自分で加減して飲んでいいお薬です。辛いなと思ったら続けて飲んでもいいし、飲まなくても大丈夫ならそれでも構いません」

鬱じゃない。
鬱じゃない。
疲れてるだけで、鬱じゃない?

優しく穏やかなもの言いながら、何だかじゃっくさんの叔父さんにそう諭されているように聞こえたのは多分気のせいなのだろうけれど。

そして診察の最後、

Dr.吟「じゃあ、お薬飲んでみてください。また何かあったらいつでもいらっしゃい」

と言って頂いた時、ワタシは思わず自分から握手を求め、

POTE「ありがとうございました。ちょっと気持ちが楽になりました」

じゃっくさんに「お前、それ鬱だ」と言われ、自分が鬱になるなんてという驚きと、鬱病患者になってしまった落胆で、自分で自分に失望してしまったきらいもあったが、

Dr.吟の「鬱ではない、疲れだ」の指摘は、まさに目からうろこというか、暗中模索からの開眼というか。

ワタシにとって、その一言は抗うつ剤以上の効果絶大だった。
いや、セカンドオピニオンのドクターの時もそうだったけど、単に暗示に弱いだけ?


新たに処方されたレキソタンは抗不安薬としては王道とも言える1977から発売されているお薬で、即効性もあり半減期も20時間と長いので、1日1錠で充分だし、効果が強すぎてふらつくこともあるので服用したら車の運転はしない等の注意事項はあるが、それをきちんと守れば、妊婦さんの肩こり解消として処方されたりするかなりポピュラーなお薬で、

就寝前の服用で、とにかく朝までよく眠れるように努め、
じゃっくさんが居れば、もし階下からコールされ、ワタシが薬の効果ですぐ目覚めなくとも起こしてくれるようにして、じゃっくさんが出張で不在の時は飲まないようにした。

Dr.吟に処方して頂いたレキソタンは14錠だったが、それを飲みきって、爺婆さまのかかりつけ往診医のN医師に相談したら快くワタシのレキソタン処方を請け負ってくださったので、

ジジババさまの往診精算のついでにワタシの受診診察の上、2~3ヶ月の間に2度ほど処方して頂き、そうこうするうちにケアマネ氏の奮闘で、滅多には入れない老健ショートにジジババ二人揃って1週間ステイしたり、在宅介護もそれなりに慣れて来て、抗不安薬なしでも復活できるようになっていた。

いや、人間、どれだけ辛い環境下でも結構順応しちゃうもんです。
でも、他人には勧めません。
施設入所が絶対的にベターな選択。

その間、並行して乳ガンのフォローアップも続いていたので、

ダブル在宅介護で夜診察外出は到底無理となり、同時期に飯田橋から四谷のまでかるくーぶ(仮名)に異動した主治医の後を追って、ハイソでオッサレーなクリニックへ転院。
一流ホテルか、ヒコーキのキャビンアテンダントさんみたいな受付さんがいっぱいいらっしゃるクリニックで、受診される方もお抱え運転手の車で来る方とかいるのに、全身ユニクロで闊歩していたワタシです。
もー服装なんかに斟酌してる余裕は無かった

鬱状態の余波が残る身体で駅の人混みと電車内の乗客にフラフラしながら、
(少しは体調が上向いたとはいえ、まだまだ廃人同然で、人が大勢いる場所に出るだけで拒否反応が 笑)
(渋谷のスクランブル交差点なんか連れて行かれたら硬直したまま卒倒しそう)
(JR四谷駅からクリニックまでの3分ほどの距離を、吐き気に怯えながら休み休みヨレヨレ歩いて漸く辿り着いたよ)
四谷までかるくーぶ(仮名)を受診し、

乳腺の主治医に、義両親二人の在宅介護が始まってしまったこと、
メンタル崩壊状態で心療内科の薬を飲み始めたことを報告すると、

乳腺外科O医師「(乳ガン再発を抑える)お薬しばらく休みますか?」

POTE「休むのもアリなんですか?」

乳腺外科O医師「今のところ(乳ガンの)お胸の方は落ち着いてますから、1日も欠かさず飲み続けなければいけないと言うことはありません。今の様子だと大変そうですし、気持ちが楽になるのでしたら、しばらくお薬休むと言う方法もあります」

薬休んでもいいんだーと思うと、それもまた、これまで「断固○○しなければならない」「石に齧り付いてでも」と悲壮な思いで自らを封じていた軛が一気に緩んだ感があって、

POTE「心療内科の先生にもお薬を変えていただきまして、今度のは気分や状態に応じて加減していいと言われましたので、ノルバ(ノルバテックス 乳ガン治療ホルモン剤 副作用発生率は8.29%程度だが、無月経、月経異常、悪心、嘔吐、食欲不振、ほてり、のぼせ、多汗などが報告)も状況に応じて調整してみます」

乳腺外科O医師「それでいいですよ。ノルバは無理のない範囲で飲むやり方でも大丈夫ですから。頑張ってって言っちゃいけないんでしょうけど頑張ってくださいね」

で、次回3ヶ月後の診察を予約し、診察室を出て廊下を歩き出したところで、中に居た看護師(60代後半くらい)さんがワタシを追って来て、

看護師さん「POTE村さん、無理しちゃダメですよ。ケアマネさんや区の担当とか、いろんな人に手伝ってもらうようにして、全部一人きりで抱えこまないようにしてください。5分でも10分でもいいから休んで、体力回復するようにしてください。頑張ってって気軽に言っちゃいけないんですけど、どうか、頑張って、でも、無理はしないで。御自分の身体を何より大切にしてくださいね」

外出のプレッシャーで、まだちょっと朦朧として居たワタシはすぐには気の利いた返答も出来ず、「ありがとうございます、頑張ります」と答えるのが精一杯だったけれど、

診察室からわざわざ看護師さんが追いかけて来て、そんな声かけをしてくださるのはそう滅多にあることじゃないと思います。

その時にはすぐに気がつかなくても、後になって、あの時あの人にこんな風に心配してもらった、こんな声かけをしていただいた、気がつかないうちに代わってやってくれて居たと言うことは随分沢山有りました。

そのおかげで、無事爺さまを自宅から送り出し、廃人寸前だったワタシが復活し得たのだと、心から感謝して居ます。

当時、町会の班長の順番だったのに、いつのまにかうちの順番飛ばして頂いて、隣のお宅の方が班長職を受けてくださってました。
婆さまが現役だった頃のように、冠婚葬祭を自宅で行い、会計から煮炊き、食器の貸し出しまでしていたような時代ではありませんが、町会費集金したり、区民行事のリーフレット配ったり、赤十字募金の集金したりは今でも行なっています。

後になって、うちの代わりに班長を前倒して受けてくださったお隣の奥様にそのことをお礼申し上げたところ、

お隣の奥様「いいのよお、そんなの。うちはそんなことくらいしか手伝い出来ないんだから。皆、心配してたんですよ、若奥さん一人で大丈夫なのかって、でもちゃんと面倒見てるんですものねえ。立派ですよ。自分の親だって看られないで遠くの施設に入れちゃう人だっているのに、床屋とかお医者とか若奥さんが車椅子で連れてってるでしょう。たいしたもんですよ。班の方は、もう昔みたいに行事もやらないし、せいぜい回覧板回すくらいだから気にしないで」

そんな有難いお言葉を賜りながら、半分くらいは社交辞令だとたかをくくっていたワタシだが、

爺さま逝去の通夜葬儀の折、菩提寺住職始め、通夜振る舞いに残ってくださった町会近所の皆々様から気恥ずかしくなるくらいお褒めの言葉を頂戴し、

恥ずかしいと思う気持ちと、これだけ沢山の人たちが見ていて心配して応援してくれていたという事実に心から感動した次第です。

だから、拙ブログにて孤独に苛まれていらっしゃるような人がコメントくださると、なるべく元気になって頂けるような返答を心がけています。
かつて不安で泣き濡れて居たワタシに呼びかけ、勇気を持って一歩を踏み出し、迷って立ち竦んで居た背をそっと支えてくれた「導く声」のように。
言葉は時として凶器となりますが、時に救いとなり滋養となり癒しになることをワタシは知っているのです。
そして、言葉を扱える種族である恩恵を無為にして、相手を傷つけ、非難中傷することだけに使うような愚かな真似だけはしたくないと自らを戒めています。
でも、時々毒吐くのはやめられない(うぉいっ!)





続く





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乳ガン寛解に至るまで・9

実父の発病でガン患者の家族という辛く苦しい体験の後、今度は自分がガン患者となる なんて展開はマンガやドラマ、小説の中の、御都合主義の最たるものと思っていましたが、

まこと、事実は小説より奇なり。

それまで虫歯治療の歯医者とコンタクトレンズ処方の眼科くらいしか医者にかかったことのなかったワタクシが、

シコリに触れて以来、近所の総合病院、川崎のセカンドオピニオン病院、手術を受ける大学病院で精密検査を受けるという環境の激変。
一気に診察券が増えたよー(笑)

シコリに気づき、その正体が明らかになるまでの恐怖と不安感は筆舌に尽し難く(大袈裟)、

胸が取られる、おっぱいが切られるという気持ちで頭がいっぱいで、気がつくと無意識のうちに喰い入るような凄い目付きで道行く女性の胸元ばかり凝視して、妙な顔で睨み返されることも一度や二度ではなく。

図書館や書店でも、目に入るタイトルが「愛と死を見つめて」「007/死ぬのは奴らだ」「生ける屍の死」「最後の一撃」といった「死」に絡む背表紙ばかりが目に入るとゆー(笑)

告知を受けるまでの待ち時間の不安定さが尋常でなかった分、むしろ、ガン告知を受け、手術に向かうまでの方が気持ち的にはずっと楽でした。

去年の子宮ガン手術入院の時もそうでしたが、梅の花大学病院(仮名)の主治医、病棟ドクター、看護師さん、薬剤師さん、栄養士さん、皆さんとても良くしてくださり、

7/8~15という短い入院期間(しかも9土10日は術前一時帰宅11月手術15金退院)は、大変快適に過ごさせて頂きました。

まあ途中、CT検査前の採血をしてくれた若い女医さんが中国籍の方で、説明も片言の日本語だったんだけど、採血で腕を抑えられた時の掴まれ方が何だかちょっと乱暴な持ち方だなと思ったら、

針刺しが ブッスーッッ!!! とすんごい痛くて、これまで看護師さんやドクター、色々な人に採血されましたけど、後にも先にもあんなに痛かった針刺しは初めてだった とか。
いや、多分中国籍でも上手な人はたくさんいると思いますが、あの時は「ちょとチクとします〜」って言われたけど、ちょっとでもなければチクっでもなかったわー!

入院初日、肺活量の検査とレントゲンと麻酔の説明を受けてくるよう言われたのに、一つ検査終わる度にワタシ病室に戻って来ちゃって、その都度看護師さんに「まだ○○検査終わってないでしょー!行って来てくださいー!!」と叱られて慌てて検査室に戻ったり、
いや、看護師さんからは3つ検査受けて来るんですよって言われたけど、検査技師さんが終わる度に「これでお終いです。どうぞお部屋に戻ってください」っていうからなんとなく戻るのかなー?ってさぁ。(そこで素直に戻るなって)(病棟で3つ検査あるって言われたって言って、確認してもらえよ)

術後の深夜、麻酔切れて来たなーと思ったらいきなり吐き気がこみ上げて、まだあっちこっち管に繋がってる状態だったもんだからゴミ箱取るのも間に合わず、ベッド柵から上体乗り上げて床にOutしちゃって、半泣きでナースコールしたら夜勤の看護師さんがすぐ駆けつけてくれて床掃除してくれたりとか。
どうもワタシ麻酔取れてくるとOutするタイプらしく、去年の手術後もせっかくお昼に出されたみかんババロア半分食べたところで出しちまった。でも、去年はすぐ手の届くところにビニール袋かけたうがい受けが用意されてたから自分で処理できたのは助かりました。
ただ去年の時は深夜じゃなく、お昼時間だったので、同室の方にはOutの音とか全部聞こえてたと思います。どーもすみませんでした。


去年の子宮全摘手術痕の縫合は筋肉組織部分は溶ける糸で縫合され、表皮部分は医療ボンドによる接着でしたので、抜糸や抜鉤(ホチキスみたいな縫合の場合専用器で抜く 抜糸より痛みが少ないらしい)もなかったのですが、

2005当時はまだ溶ける糸と解けない糸の併用で、
afterope.png
腋窩から内視鏡が入り(当時も全身麻酔だったので全然知らなかったんだけど、後で別の乳ガン特集番組見てたら、内視鏡って料理のブレンダーみたいなのよー。あんなのが脇からグイグイ入れられてたのかと思うと、ひええ〜〜〜〜でしたわ)、、
乳首周囲半周を切開し腫瘍摘出となる為、腋窩と乳首付近を切除、縫合。

縫合は内縫いになってて術後はそれぞれのの始点と終点に黒テグスみたいな糸の結び目が見えてまして、

入浴許可が出た後は、腋窩の結び目は1~2ヶ月で自然と硬くなって着替の度にポロポロ取れて、そのうちなくなり、

乳首半周の方は溶けない糸なので抜糸すると言われ、主治医のO医師か、サブドクターのK医師か、あんまりお話しする機会のなかったH医師かなーと密かに期待してた(何をだ)


ら、


いつもサブドクターの後ろにくっついてるだけで、質問しても大して要領を得ない研修医のピヨ子先生(女子)がよりによって抜糸に処置室に現れ、
(Noooooooo~~~~~~!!!!)

お互い、手に汗握りーの、息詰まる緊張感ーの中の抜糸になったとゆー(大笑)。
だって、ピヨ子せんせーたらすぐ「うーん…、固いー」とか「あっ!」とか「ごめんなさい、ごめんなさい」とか言うんだものー(怖)
でも、全然痛くなく出来てて上手でしたよ。
つか、あまりの緊張で多少痛くても気にならなかった気が。

ピヨ子先生今頃どうしてんのかなー。あれから12年だから、立派なドクターになってくれてるといいんだけど。


術後の放射線治療は乳腺外科の主治医から院内紹介されて放射線治療医の患者となり、

初回は放射線治療医のドクターから治療の方法や副作用の説明を受け、

その後、レントゲン室の治療台に行き、実際の治療と同様の検査着で仰向けになり、放射線を照射する乳房表面に看護師さんが油性マジックで印をつける。
(入浴の規制はないがマジックの印は放射線治療が終了するまで必要なのでゴシゴシこすらないよう注意される)
(それでもひと月通ううちにマジックが薄れてくるので、途中何度か書き足し、スプレー糊みたいなのを吹きかけられるが、これが冷たくてスプレーされる度にヒックヒック身体が動いちゃっておかしくて堪らん)

ワタシは引き乳房の乳ガン患者なので、治療台に仰向けに寝て、「はい、先生」みたいに右手を上にあげ、右腋窩から右乳房に放射線を当てるんですが、
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毎回ベッド姿勢がバッチリ決まるそうで、担当看護師さんにすぐ始められて助かると褒められちった。
微調整の繰り返しで、なかなか放射線照射が始められない人も多いらしい。

週1程度で放射線治療医の問診があるが、「どうですか」「特に変わりありません」くらいで特に何か相談することはない。

途中、明らかに研修医らしき見慣れない若い医師が同席することがあったが、患部である乳房の状態を診てもらうときは、必ず研修医さんの前のカーテンが引かれるという配慮がきちんとあった。
まあ、いずれお医者さんになる人だし、女性器とか泌尿器、肛門だったら抵抗あるけど、おっぱいくらいなら別に研修医に見せても構わなかったんですけどね。


放射線治療は治療台に寝て、放射線を数分照射されるだけで、熱くも痛くもなく、放射線受付から着替えて治療室を出るまで20~30分もかからないが、

日を追うごとに放射線を当てた部位の皮膚は日焼けしたように赤くなり、表皮は乾燥しパリパリと剥け、人によっては痒みや痛みが出る場合がある。
ワタシの場合はうっかり日焼けと同程度のヒリつきくらいでした。

体感としては熱さも痛さも無いが、実際には放射線で患部を灼いているので、表皮の乾燥と剥けがあり、
放射線治療終了後、時間の経過と共に元に戻るが、腋窩の汗腺も灼かれて性能を失うので、右の脇からは汗が出なくなった。
腕や肩甲骨周りの皮膚からはちゃんと発汗するので右からの発汗がまるで無くなるということはないが、右から出るのが少ない分、左からの発汗がびっくりするくらい増えて、夏場は左の脇汗にちょっとだけ気を使う。

人によっては食欲不振や下痢、口腔乾燥の副作用が起きる場合があり、治療中や治療直後に現れる人もいれば、半年から数年経ってから現れる人など、副作用の発症時期も内容も個人差がある。

ワタシが一番困ったのは疲労感で、放射線治療の後半からとにかく眠くてだるくて大変でした。
家事してて動き止めると、そのままスーッと瞼が閉じてきて、油断するとそのまま倒れ込んで寝そうになった。

しかも、2005当時、まだ爺婆さま達はすこぶるお元気で、老人会の旅行やら一心講のお出かけやらカラオケだ押し花だと忙しく活動されていた頃で、

また、婆さまはお産でしか病院に入ったことがない健康な人で(幼少時は虚弱だったらしいよ)、婆さま実母は早くに亡くなったけれど、長く寝付いたり患った人が身近に居なかったもんだから、

術後の不定愁訴について皆目理解出来なかったらしく、配慮もなく、

何故、ヨメがなかなか動かず、いつもしんどそうにしているのか、皆目理由がわからず、
(術後の、放射線治療中だってばさ)

いつも眉間に縦皺寄せてダルそうに不機嫌そうに動いているのが不愉快だったようで、「何なの、その顔、嫌なら私が代わりにやろうか?」と苛ついたように言われたこともあった。

ワタシ自身初めての経験で、うまく説明できない状態だったのも含め、とにかく家庭内は険悪。

これ、多分、ワタシがここの娘だったら、やれ具合が悪いのか、大丈夫か、布団敷いてやるから横になれ な対応になるんじゃないかと思うんですがー(笑)、
大正生まれにとってヨメなんて使用人だし(違います)、術前までは家族で一番若くてタフなのが売りだったもんだから、手術成功したのに術後弱ってるなんて想像もできなかったんだと思う。

相変わらずダンナは出張も多く、そもそも親とヨメの間に立って調整役を負うなんて気概は全くない人なので、

当時、泣き言を吐き出せた唯一の場所が先輩ガン患者の方が開いてくださっていた患者BBSで、

その節は本当にお世話になりました。
(/TДT)/あうぅ・・・・

ワタシ自身説明不足だったという手落ちもあり、なかなか正しく理解されない四面楚歌な状況で、それでもどうにか耐え抜くことが出来たのは、同志同胞戦友のガン友の皆さんの温かく優しい応援があったからこそです。
(*_ _)人 (*_ _)人 (*_ _)人 (੭ ˃̣̣̥ ω˂̣̣̥)

その中で何とか、時間の経過とともに自分も「こんな筈では」という戸惑いから「こういうものなのだ」という得心に変わり、焦りや苛立ち、踠きから、ジタバタしても術後治療後のガン患者なんだからなるようにしかならないという当たり前の腹もくくれるようになり、

その頃には副作用も随分薄れ、家庭内の様子も次第に落ち着いていった。

恥ずかしながら、一番落ち込んで居た時、ネットで「義両親、大嫌い」で検索したら、
ものすごい悪口雑言の2ちゃん板やBBSがザクザクhitして、
\(* ̄□\) ̄□\) ̄□\))))オォ~ット!!

その壮絶な体験談を流し読みしてるうちに、

「うちの義両親って、まだ全然マシな方?」という気付きができたというのも大きな救いでした。

今思えば、あの板やらBBSに書かれて居た内容には多少からかなりの脚色や盛りがあったかもしれません。
人って口に出すと(文字に起こすと)無意識のうちに自分に不利なことを省略し、相手を悪し様に言う時には殊更大仰に言うものだから。
でも、それはそれで、デトックスや浄化作業として必要なものだとも思うのです。

その後、病理検査(手術で摘出した腫瘍を専門機関で詳細に分析)の結果、抗ガン剤ではなくホルモン剤治療となり、
ノルバデックスというやたら高価な(笑)ホルモン剤服用を始める。

術後のCT、MRI、PETと検査でフォローアップを続けて行く途中、

梅の花大学病院(仮名)乳腺外科診察の飽和状態(予約してるのに診察室に呼ばれるまで3時間待ちって)(10時の予約なのに午後に漸く呼ばれるって)(仕事抜けて来てる人もいるので、そら困るやろ)(受付に怒って苦情申し立ててる人も随分いました)に辟易し、

飯田橋のクリニックでO医師が夜診療を始められたのを契機に、梅の花から飯田橋に転院。

ホルモン剤は乳ガンの再発を抑える効果が期待される反面、婦人科良性腫瘍(筋腫)が発症しやすい面もあり、

必ずしも子宮筋腫が発症すると決まってはいないが、

ワタシの場合、最近下腹が出てきたなーなんて思ってたら、PET検査で特大子宮筋腫が発覚。

排尿障害も腹痛腰痛もまるで自覚症状はなかったが、子宮筋腫が直径12CMに増大しており(常識的に切除対象サイズ)、ホルモン剤治療を中止。
しかも一つだけじゃなく、小さいのも幾つかくっついているって。

専門医による筋腫の経過観察が必要と言われ、地元の婦人科(女医)を受診。

婦人科でも当然筋腫摘出を強く勧められるが、超高齢の義両親と同居(この時点で要介護は爺さまだけ)を理由に手術を渋っていた、その最中、

2009に爺さまが腰椎骨折で入院、数週間で退院してくるも、それまで伝わり歩き出なら移動出来ていたのが完全車椅子となり、生活内容が更に大幅に変わる。

翌2010には婆さまが脳梗塞で入院。

ケアマネの大反対にもかかわらず、爺婆二人抱えての地獄の在宅介護がスタート。

もはや自分の筋腫どころの話ではなくなり、介護という戦争の火蓋が切って落とされた。




続く





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乳ガン寛解に至るまで・8

一つ前の記事で、

発覚の契機は2005.4の朝の着替えの時の違和感と書きましたが、

後でよく考えると、実はその前にじゃっくさんからシコリがあることを指摘されていました。

詳しくは書けませんが、まあ夫婦なんで、自分で触診するよりパートナーの方が先に気づくということは、うちに限らず、ままあることだと思います。

ここは在宅介護ブログなので、あまり男性の目に止まることはないかもしれませんが、

最近はご主人、実息子さんの介護者も増加していますので、敢えてお願いします。

もし、あなたのパートナーの胸にシコリが触れた場合、迷わずすぐに伝え、乳腺外科医の居る病院を受診するよう勧めてください。

乳ガンの進行速度は胃ガンや膵臓ガンに比べて比較的遅く(例外もあり)、成長速度は1年に1ミリ程度と言われ、

触れて分かる1cm大のシコリになるまで10年かかると言われています。

更に大きく2cmになるまで、もう10年。

それまでに治療を始めることが出来れば、病期ステージII(2)まではリンパ節、多臓器への転移も無い場合が多く、予後もかなり良好です。(例外もあり)

早期発見早期治療は必ずしもガンにならない、ガンになっても絶対助かる護符とはなり得ませんし、

早く発見出来たとしても、顔のタイプによっては厳しい現実と向き合わなければならない場合もありますが、

それでも、

忙しいから、怖いから、親族にガン持ちはいないから大丈夫という希望的観測に逃げ、みすみす治癒できる機会を逸してしまうのは余りにも勿体ない。

あなたの大切な人の為に、あなた自身の未来の為に。

あなたがパートナー男性なら、病院受診を勧めてください。
あなたが乳房にシコリがある女性なら、勇気を出して乳腺外科医の居る病院を受診しましょう。

全ての方に当てはまらないのが残念ですが、ほとんどの乳ガンは治療で治ります。

シコリも小さく切除部分が小さければ内視鏡手術で乳房を残すことも出来ますし、仮に全摘しても形成外科の技術の向上で乳房再建も元々の乳房と見分けがつかないくらい綺麗に再建出来ます。

かつてワタシがガン先輩の方にアドバイスされた言葉ですが、

冷静に現実と向き合い、信頼できる主治医のもとで納得のいく治療を受けられることを切に切に願います。


ところで、じゃっくさんに指摘されたという件ですが、

ワタシが自分でシコリに気づいた2005.4に先立つこと数ヶ月前、

1月くらいっだったか、じゃっくさんに「お前シコリがある」と言われ、えー?と自分でも触った時、

確かに右乳房の奥に固いシコリのようなものに触れたんです

2005の着替えの時に触れたシコリより、もう少し乳房の奥まった所に、確かに固い感触がありました。


ありましたがー、




なんで、その時すぐに病院に駆け込まなかったかというと、


その翌日から、じゃっくさんが出張で、その間に、車椅子の爺さまと、まだ自分で歩ける婆さまの年寄り二人連れて千葉の小湊の温泉に泊まりで行く手筈になってまして、

ワタシ、車の免許持っていないので、

自宅から東京駅までタクシーで乗り付けて(爺さま用の外用タクシー持参)、

あらかじめ東京駅駅員の方に京葉線特急電車乗り場までに誘導を依頼し、
(知る人ぞ知る、同じ駅構内とは思えない長距離移動をショートカットする地下道通路)
(この件では脳性麻痺車椅子ユーザのブロガーさんにも随分色々と丁寧にアドバイス頂き、本当に助かりました)

小湊駅からホテルバス送迎。

二泊して帰宅とゆーワタクシ的一大プロジェクト決行直前だったものでー。


いや、もー、車椅子の年寄り連れたタクシー&電車利用の小湊二泊大作戦が無事に終わるまで、シコリどころじゃないんですけどーとか呑気にほざいてましてですねー。
特急チケットも東京駅の誘導も宿泊ホテルの手配も全部済んでて、後は出発するだけっつータイミングだったんですよ

で、帰宅したら考えるーとか言って、

結局小湊旅行が無事成功した後は一気に安堵脱力して、シコリのことなんか綺麗さっぱり忘れてて
(コラーーーッッ!!)、
色々トラブルもあったけど、爺婆さま達が喜んでくださったのでまあ良しと。
しかも、これ1回こっきりじゃなくて、その後(手術翌年)も熱海と河口湖にも1年に1回のペースで電車や高速バス利用でワタシ一人で連れてった。
さすがに悪いと思ったのか、途中からはじゃっくさんが車出してくれて、中伊豆行ったり川治温泉連れて行ったりしますた。
ヨメにガミガミ言われての渋々運転手だったけれど、常に安全圏から出てこない実息子にとってはあれが精一杯で唯一の親孝行だったかもしれん。


小湊旅行後、じゃっくさんも年度末攻勢で多忙になって、

2月3月4月といつしか月日は流れ、

二人ともシコリのことなんか思い出しもしなかった。
ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!

パートナーに気づいてもらう以前に、おまーが女としての自己管理がなってないわー!
乳ガンも子宮ガンも女が自分で気付いたり発見できる病気なのに、介護の多忙を口実にそれ全く疎かにしてるなんて、

一見健気で美徳なように見えて、その実、

自らの健康をないがしろにしていると言う、まさにもって不届千万。
ヾ(*`Д´*)ノ"彡☆ ケシカラ-----ン!!


いやホント、結果的に早期発見で今も元気にしてるから良かったようなものの、一つ間違えば今頃遺影になってた可能性だってあったわけですから、

あの12年前の自分に会えるのなら、往復ビンタかまして問答無用で大学病院に引きずって行きますわー!
つか、そもそも同居に反対するか、いっそじゃっくさんとは一緒にならない。

そうなってりゃ今頃誰が介護のキーパーソンだったのかなーなんて黒い呟きが鎌首擡げたりも致しますが、
多分、在宅は無理で即施設入りだったろうなー

それはさておき、

で、漸く話は本筋に戻ってですね。

2005.1に早期治療のチャンスがあったのをみすみす逃しながらも、

2005.4の改めての発覚から、今度は顔面蒼白でどうするどうするどうすればいいんだー!?と狼狽え騒いだ挙句、セカンドオピニオンのドクターまで辿り着き、そこからドクターのご好意で、めでたく紹介状持参で梅の花大学病院(仮名)乳腺外科を受診に漕ぎ着く。

細胞診やらCTやらMRIやらひと通り検査し直して、表面ツルツル直径1cmの乳ガン ステージI(1)の診断で、

優しく誠実で熱心なO医師が新たな主治医となり、

7/8金 入院
9土10日 週末だったので一時帰宅(10日16時帰院)
7/11月 手術(内視鏡のくり抜き方式で乳房温存)
7/15金 退院
8/22月〜9/30金 放射線治療
病理検査の結果、抗ガン剤ではなくホルモン剤服用治療開始






続く






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