2017. 02. 16  
九州では春一番が吹き、

明日には関東も気温20℃近くまで上昇との予報が出ております。

花粉飛散も本格的に始まりそうですが、

やはり朝晩は冷えますので、温度調節、衣類の選択が難しいところ。

さて、結局血液検査までしていただいた婆さまですが、

ただのウイルス性胃腸炎とのことで、

別に命に関わることも、感染で周囲に迷惑かける状況でもないということで、

いつまでも自宅養生してると、かえって大事にしすぎて廃用症候群真っしぐらになりそうなので、

15水からデイ利用再開となりました。


採血時は、本人も食欲がなく(デイでの嘔吐下痢にびっくりしちゃって必要以上に警戒してた)、

ざるそば1/3とか、ヨーグルトとか、ゼリーとかしか口にしていなかったせいもあり、

白血球数と栄養状態のアルブミンと鉄分数値が低下。

N医師「滋養のあるものと鉄分食べさせてね」








食べさせてねって、センセー、それじゃ、ワタシが食べさせてないみたいじゃないですかー。

N医師「そうは言ってないって(笑)」


ということで、しじみの味噌汁に、ひじき、ほうれん草の胡麻和え、カレイの煮物、ミルフィーユカツ(さぼてんデリカ)等で短期集中鉄分補給メニュー。

で、TVの、茨城は白菜の産地ですごく美味しい白菜があるとかの話から、冬場はやっぱり鍋だよねという話題になり、

爺さまと二人で暮らしていた頃は、冬場は鱈ちり鍋をよく作って、

熱々の豆腐とタラと青物野菜であったまってたそうなんです



が、


鍋の真ん中に薬味つけ汁器を置いて、食べてたそうなんですが、
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婆さま「夫婦で食べるんだから、気取る必要もないんで、そのまま一緒のつけ汁に浸しちゃあ食べてた」

…そのまま?

…え〜と、
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呑水(取り小鉢)に取らずに、そのまま食べるんですか?

婆さま「そうよ、夫婦だもの、気にしないのよ(平然)」






…まあ、そのままって言っても、そのまま口に運ぶんじゃなくて、多分ごはん茶碗で受けて、ごはんと一緒に頬張る ってことだと思うんですが、


それでも、うちは無理だなー。
(ワタシよりもじゃっくさんが絶対取り分けたがると思う)


婆さま「そういえば知り合いのフグ田さん(仮名)がね、上役さんのお宅に呼ばれて、夕飯ご馳走になったことがあって、それが鱈ちりだったんだけど、フグ田さん(仮名)の家もうちと同じで、薬味つけ汁は家族で同じ器に浸けて食べるやり方だったもんだから、いつもと同じように浸けて食べてたら、
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そこのお宅はつゆも薬味も一人ずつとんすいに取り分けて食べるお家だったので、恥かいちゃったって言ってたねえ。

げ。
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せっかくの薬味ガバー!豆腐ドボーン!ですかいー。

…う、わー(そりゃ、上役さん一家ドン引きだったろうよー)

婆さま「でも、それならそうと、相手の家の奥さんが先につゆと薬味取り分けてあげて、それで「どうぞ召し上がれ」って言ってあげれば済むことでしょう」
nabe2.jpg






…はい?

はあ、まあ、それはそうかもしれませんが、
何すか、その至れり尽くせり要求は?


父親の膝に座って、口にご飯運んでもらってたお嬢の理論って、そうなのー?


…えー、

でも、お招き頂いてると言ってもこっちが目上の賓客じゃなくて、この場合のフグ田さん(仮名)は上役さん宅をお訪ねした部下の立場なんですよね。

だとしたら、ホスト側にそこまで要求するのってどうでしょう。

つか、会食って実はその場、その席によってルールがかなり異なりますから、上司自宅にてご馳走してもらう立場なら当然上司宅のルールに従うべきですし、自分の家が同じ薬味つゆ器共有だからって、そのやりかたを強行してはいけないと思います。

部下は部下なりに、そこはもっと緊張して、素早く周りの状況や作法を察知するか、分からなければ予め聞いて確認するべきでしょう。

ホスト側の手落ちというより、これは明らかに客の傍若無人の失敗談だと思います。

そういうところで、育ちがわかるっていうか、物事を「これでいいだろう」で自分本位にすすめる人間だって思われちゃったと思うけどなー。


よく宴会料理で運ばれてきた唐揚げ全部にレモンかける自称気配り人間が勝手にかけないでって言われて、親切でかけてあげたのに、かけたきゃ自分で取り分けてかけるから断りなく先にかけるのやめて、レモンかけたくない人だっているんだから、だってかけたほうがおいしいからわざわざ店がレモンつけてくれたんでしょう、わがまま言うのやめなさいよ みたいな、どっちが気が利いてるんだか迷惑なんだかわがままなんだかよく分からない論争もありますけど、

(確かに、ワタシも誰かにかけてもらうより自分の取り皿に取ってから自分でかけたい派かな)
(レモンくらいは許容範囲だけど、一口カツに勝手にソースかけられたらちょっと嫌かも)
(人にかけられるのが嫌というより自分でかけたい 笑)

会食って結構神経使うよね。
食べる速度とか、雰囲気とか、誰を中心に会の流れを見ていくかっていう気配りが必須なので、正直料理の味なんかあまり覚えていないことあるある。
(だから一人飯好き)
(下手するとじゃっくさんと外食するより、食事に集中できてる気が)
(余計なしゃべりがない分、器とか料理の味わいにすごく集中できる)






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2017. 02. 14  
婆さまには生みの母と育ての母が居られ、

実母は若くして病没。
実母末妹は不憫な姪(幼い婆さま)を大変可愛がり、懐かれていたこともあって、養女縁組成立。

一方、I川父上も妻を病気で亡くしており、
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縁あって、I川父と婆さま叔母は結婚。
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I川父と先妻の間の男の子二人(小学生)と、
叔母と、叔母養女の婆さま(16~7)の

微妙に血の繋がらない同士の家族が構成されたのは太平洋戦争の最中、
(それでもS16~7年前半くらいまでは市民生活に直接影響はなく)
(S19マリアナ沖海戦により日本側が大敗、完全に制空権を奪われたことにより本土空襲が本格的に始まる)

そんなつましい一家庭の平和を戦火は踏みにじり、

18年には兵力を補う為の学徒出陣に及び、婆さまは女子(18才)で、I川の弟さんたちはまだ小学生だったので戦地に駆り出されることはなかったものの、

婆さまと上弟さんは奉仕作業に駆り出され、下弟さんは地方疎開。

戦局は次第に厳しさを増し、誰もが祖国の勝利の為にと懸命に誠実に質素に暮らしていた中、頼みのI川父が病に倒れ(慢性腎不全)、叔母も甲状腺を患い(バセドー病)、

20になるやならずの若い娘が病気の両親と弟抱えて生き抜くには大変な苦労があったと推察します。
(空襲で家を焼かれたことはあったけれど、結果的に本人たちは無事に終戦を迎えられた)
(「家が焼かれてからは、住む場所を借りるのに方々都内を渡り歩いたけど、S20に浅草にいたら、東京大空襲で死んでいたと思う」とは本人の弁)
(病身とはいえご両親は寝たきりだったわけではないので、母と千葉の農家を訪ね着物と食料の交換のいわゆる買い出しに出かけたことも)
(当時は家をなくして、知り合いのつてを頼って間借りしたり、少しの間居候したりは当たり前)
(家は無事だったけれど、防空壕に逃げ込んだらそこが爆撃の直撃受けて一家全滅なんてことも普通にあったそうで)
(だから、朝ドラや終戦記念ドラマよりはるかにリアルな戦争体験を拝聴させてもらってますが)
(それはともかく)

血は繋がっていなくても、互いにいたわり合い、力を合わせ、励ましあい、協力し、懸命に生きて終戦を迎え、一家の子供たちも成人し結婚適齢期となり、

婆さまは爺さまと結婚、

下弟さんも結婚し、父から引き継いだ商売に寝る間も惜しんで懸命に働き、
(父上は手広く事業を展開していた方だったので、随分色々な商売に関わったそうです)

どうにか日々の暮らしが落ち着いた頃とはいえ、

それでも、医者にかかる、入院するということはよほどの富裕層に限られた贅沢待遇の意識も強かった戦後。

今のような先進保険医療の透析治療を誰もが受けられるわけでもなく、

I川父上は慢性腎不全の悪化で死去。


明らかに己の余命を悟ったI川父上は婆さまを枕元に呼び、

I川父上「お母さん(婆さま継母・叔母)を頼むよ」

と言われたそうです。


既にPOTE村に嫁いでいた婆さまではありますが、今となっては継母にして養母の叔母は婆さまにとってかけがえのない大切な「母」であり、

I川父上に改めて言われるまでもなく、POTE村の嫁となり仕える姑が居る身ではあるけれども、

「母」としての叔母を守り、最後まで看取るつもりでいた婆さまは、少しだけ気を悪くしたようです(笑)

婆さま「私は最初からそのつもりでいるのに、わざわざ改まってそう言うのよ。言うんだったら、私じゃなくて、店の後を取った下弟夫婦に言って欲しかったのに」








ええー、下弟夫妻さんにですかー。

keizu3.png

(因みに、上弟さんは生涯独身でしたが、終生姪たちを可愛がり、父が残し弟が継いだ店に全面協力してくださってました)


…うーん…

でも、母上は婆さまにとっては血縁の叔母上であり継母・養母ではあるけれど、

I川弟さんたちにとっては、後添いの継母でしかないからなー。


I川父上が自分の死後、妻の身の振り方を頼むとすれば、現妻と血縁の無い息子より、血の繋がった姪であり養女であり、女子である婆さまに頼むのが一番自然だし頼みやすかったとゆーことでは?

婆さまが疎遠だったり、その存在がなかったなら、当然その願いは後を継いだ下弟さん夫妻に託されたんでしょうけれど。

実際、下弟夫妻は父上亡き後も継母にも充分に孝行してくれたようにお聞きしてますし、一家のお墓にも入れて下さって、法事法要もきちんとしてくださってます。
(継母だからって施設ぶち込んで放置とか、再婚相手だからと一族の墓に入れてもらえず泣く泣く実家の墓に入る人だっていますから)


ここまでしてくれていることに先ずは感謝すべきで、「あの時私じゃなくて、下弟に言って欲しかった」つー不満はちと筋が違うよーな。


だって、I川父上にとって婆さまは娘とはいえ、それは便宜上で、実際はただの連れ子ですから。
(しかも産んだ娘じゃなくて、姉の娘ですよ)
(I川父上にとっては再婚相手の養女という何の関係もない存在です)

へたしたら虐待対象か、邪魔者扱いか、女中同然でこき使われて人間扱いしてもらえない立場だったと思います。
(婆さまは長子と19歳離れた末妹(長男は明治43生)で、それだけ年の離れた妹は一緒に遊ぶ相手ではなかったけれど、その分家族中から大事にされ、お姫様状態で誰からも可愛がられたので、イマイチお分かりにならないと思いますが)
(生母さんは物心ついた頃は寝たきりの病人でしたが、食事は父親の膝の上で、箸で口元にいちいち食べ物運んでもらってたっつーんだから、お幸せで結構な幼少期だったと思います)
(長兄長姉だけがいい目見て、後の弟妹は使用人扱いだったのはそんな珍しいことじゃありません)
(帰省してもいい顔されず、仕事で失敗したり病気になって実家に帰ってもけんもほろろの扱いで早々に東京に戻った なんて話はザクザクあります)
(残念ですが、兄弟は他人の始まり)

それこそ、結納金たんまりを目当てに、どこぞの金満色ボケジジイや暴力最低男に売り飛ばされたって文句は言えない時代と立場です。
(すいません、昨夜ケーブルTVで「緋牡丹博徒」観てたんでちょっとその名残が 笑)

それが、最高とはいえないまでも、きちんと学校も出してもらって、就職もそれなりのところを世話してくれて、縁組だって随分色々考えてくださったようです。

人として当然の立派な行いですが、なかなかできませんよー。

実の子だって、相性が合わなくて常にマウンティングしあって、いがみ合うことしかできない親子兄弟は幾らでも居るんですから。

血の繋がらない連れ子に、溢れんばかりの愛情と正しい教育を授け、人としてのあるべき道筋を示して行かれた「父上」が残り少ない命で託して行かれたその一言は全幅の信頼と誉れに思い、喜びこそすれ、

言う相手が違うと不服を言うのはあまりに我儘ではないかとー。

…だ か ら、

そういところも含めて、POTE村先代(爺さま母上 婆さま姑)が、「乳母日傘育ち」って評したんだろーねえ(笑)
(先代はご亭主を早くに亡くされ、こちらは女手一つで夫の残した酒屋を守り、息子と娘を育て上げた寡婦で)
(酒屋なんて飲兵衛相手で、しかも女だということで凄まれたり舐めてかかられたりしてそれなりの苦労を乗り越えてきた女丈夫なので)
(勝気で譲らないところは並外れたところがあって(笑)、しょっちゅう息子(爺さま)と大げんかだったそうです)
(うん、わかるわー (笑))

婆さま本人は「婆やさんは居たけど(居たんかいー!)、乳母さんじゃないんだから、乳母日傘なんかじゃないわよ」と反論しておられますが、


いやいやいや、乳母日傘「気質」なのは正鵠を射ていると、ワタクシも同意いたします。


血筋なんだろうけれど、言葉の端々に、してもらって当然 な本位さが、あるよねー。

苦労してないとは申しませんが、恵まれてることもものすごーーーーーーーーッく多い方だから、それが「当然」だっていう都合のいい解釈になるんでしょうねえ。

しかも、それ、明らかに受け継がれてるよねー。



で、それだけ喋れるなら、デイ再開してよろしいんじゃないでしょーか?
自宅養生だと、すぐ横になっちゃうし、寝ちゃうし。

人間、身体縦にして動いて話して、初めて回復するんですよ。
大事にしすぎてかえって長引かせてるような気がしますが〜。





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2017. 02. 13  
デイ早退。

嘔吐下痢。

チョコレート色の吐瀉物。

早期受診推奨 と、


なにぶん90の超高齢者なので、一気に最悪想定パターン5通ぐらいが脳内駆け巡りました


が、


体温は37℃以下の平熱だし、

プレーンヨーグルトやもりそば(1/3)を結構なハイペースで完食してますので、


まだ苦い水が胃から上がってくるとの訴えもありますが、

結局、嘔吐下痢はデイでの1回だけだし、

吐瀉物茶色は、胃炎で胃壁表面に滲んでいた血が嘔吐で出てくるケースとして割とよくあることのようだし、

加齢からくる食道弁の開閉老化のような気もしますので、
(制酸剤飲みすぎると今度は消化不良になるんぢゃね?)

早いとこ日常生活に戻したいのですが、

デイ出席の話を振ると、急に意気消沈な表情になって、いかにも具合悪そうなアピールが〜(笑)。
(そのくせ、50年も前の不満出来事の回顧話が始まるとやたらテンション高いよ)

今日再度往診で採血して、その上で色々調べてみないと診断は出ませんが、

…感覚としては大丈夫そうです。
(少なくとも関係各方面に大至急回状回して呼集かける必要は無さそうかと)
(大袈裟なんだから みたいに言われたことがあるんでねー)
(明後日からじゃっくさん出張で不在になるんで、その間の責任と判断はワタシが負うんだけど、意識なくなったら呼ぶかなー)





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2017. 02. 11  
今日は地元のデイ フラワーカントリー(仮名)だったんですが、

昼前に施設から急に電話があって、

入浴後、トイレに入ったら急に嘔吐と下痢があったとかで、

昼食食べずに、ポリ袋厳重梱包した汚れ物と共に、

丁重に送り返されてきました。


熱は無いし、受け答えも出来てるし、
(周囲の物々しさにかえって不安がってるみたいだけど 苦笑)

送ってきてくださった施設リーダーと看護師さんが、

「ノロではなさそうですが、早急に病院を受診されたし」


と、強く勧めてくださったので、

祭日で休診なのに、かかりつけN先生のケータイに電話。

外出中らしく、留守電に事情説明のメッセージ入れて、返答を待ってる状態です。

外出先から、医院に戻り次第、往診してくださるとの連絡有り。


約束より早い時刻に自転車で駆けつけてくださいました。

起床時の洗面の際のうがいでもチョコレート色の吐水があったとか、

でも平熱だし、今は食欲は無いものの、飲水は問題なく、吐き気も落ち着いており、

腹部の触診でも、硬さは見られ無い 

ということで、



もう薬局もやっていないので、N先生が整腸剤(ビオフェルミン 食前3回4日分)を持ってきてくださったので、

土日はそれで経過観察。
(明日日曜はN先生は休日当番医なので、外来終了まではご多忙)
(ああ〜、申し訳ないす)

週明けにでも、改めて採血して、何からの嘔吐だったのか調べたい とおっしゃっていただきました。
(吐瀉物のチョコレート色というところが先生も頭をひねっておられました)


水分補給は充分に との指示だったが、

朝食しか食べていないのに嘔吐しちゃったもんだから、婆さまがお腹空いたというので、


鶏粥も冷凍してあったけど、あまり具沢山なのもどうかと心配だったし、

急遽、レトルトの白かゆ半分温めて、塩と醤油で味付け。

そんなに急いで食べんでもというくらい、早食いでおわした(笑)


送り返されてきた当初はまさかノロ?と慌てたけど、

…熱もないし、普通の胃腸炎ぽいかなー。
(でも利用者が全員高齢者のデイ施設だと、嘔吐下痢とくればそらー即時強制帰宅ですわな)


とりあえず大事をとって、月曜の老健デイケアはそういう事情で休ませたい と連絡。

昨日の月一の往診では問題なかったのに、御年90歳の超高齢者の急変はいつも唐突です。




西日本では大変な積雪の被害が出ているようです。
どなたさまも、何卒ご無事でおられますことをお祈り申し上げます。






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2017. 02. 04  
暦の上では立春とはいえ寒い日が続いております。

皆さん、お変わりありませんか。

インフルにノロにカンピロバクターに花粉(もう飛んでるよねー)、

乳幼児高齢者を抱えた家庭にとっては緊張を強いられる季節が続いております。

一時、喉風邪気味になった婆さまですが、幸い早めの対応が功を奏し、
(N医師と抗生剤ジスロマックに五体投地で感謝)

何とか重篤に至らず、無事ショートにも行けて、その後は和室の保温と保湿に努めていたのです


が、



このところ下肢ひざ下表面の疼痛を訴えられることが多く、

就寝間近のにコールで呼ばれ、和室に行くと、結構な剣幕で

婆さま「ひざ下がすごく痛い、触るとボコボコのザラザラで、こんなんなっちゃってどうしよう。何塗ればいいんだろう」

と言うので、パジャマズボンを捲って患部?を確信するも、

本人が言うほどのボコボコもザラザラも認められず、
(「ほら、ここ!こんなザラザラ」って言うんですが、そうでもないんじゃ?という程度。まあ、表皮が白っぽく乾燥してるのは認めますが、冬場の高齢者の肌なんてこんなもんじゃないかえ?)

とはいえ、「何ともない、心配ない」では絶対納得しそうもない雰囲気(鼻息?)だったので、

当たり障りのない保湿剤ヒルドイド塗って差し上げて、一応落着。


したらですねー。

デイでの入浴の際、自分からその話をして、「こんなにボコボコのザラザラで、どうなっちゃったんろう」と相談したのを受けて、

デイの看護師さん「やっぱり皮膚科に行って診てもらったほうがいいんじゃないですか?」

と言われたもんだから、大いにその気になっちゃって、

皮膚科・皮膚科・皮膚科に連れてって・皮膚科で特効薬つけてもらってボコボコザラザラを治したい の無言の圧力が凄かったんですが、


いや、簡単に皮膚科で診てって言いますが、

かかりつけじゃない病院受診って、まず問診、待合で待たされ、診察、薬処方、会計まで大体2時間覚悟の大仕事だし、

うちなんか車椅子で行くんだから、往復の徒歩はもちろん、院内の待合席のポジション取りも結構神経使うし、一番気がかりなのが途中のトイレ。
(大学病院や総合病院じゃないんだからバリアフリートイレなんかなくて、下手すると雑居ビルの階段踊り場の途中とかで、トイレ借りるのにスーパーまでダッシュしたこともあったよ)

正直、気が重い。

そこへ降臨してくれたのが、強力な援軍、先日の発言でも大いに高評価だった、


訪看さん。


いつものように検温、血圧取りながら、「お変わりないですか〜」と問診に入り、

話があっちゃこっちゃに飛び回る婆さまのショート談義を辛抱強く聞いてくださり、


「体調は?」となって、

よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、ひざ下がボコボコのザラザラで、デイでも皮膚科受診を強く勧められたとの本人訴えを受け、

ズボン裾をめくり、現金封筒のような有様のズボン下(ももひき)とソックスを取って患部?を確認するも、

訪看さん「乾燥してる季節だしねえ。電気敷き毛布もずっと使ってるんですよね。あれ、乾燥するんですよ。低温火傷とか発疹といったはっきりした病変は見られないし、これで皮膚科受診しても特に処置することはないと思いますよ。まあ、20代くらいの人ならともかく90の人の足ならねえ。乾燥もボツボツも普通のことですよ。私だって足回りひどいもんですよ。POTE村婆さんの場合は正しく年取ってる証じゃないですか(にっこり)」

で、今度こそ一件落着。

(そらー、これが褥瘡𝐈期だとかなら、かかりつけのN医師のところにすっ飛んでって対応相談しますが、どう見てもフツーの乾燥肌か老人性乾皮症)
(ヨメがスルーしたり、やんわり否定すると気に入らないからすげー剣幕で反論してきますが)
(本職であるという肩書きと、ワタシより10歳くらい年上だというのも有効のようで)
(ヨメだというだけの小娘に従わざるを得ない不服も反抗心も、訪看さん相手だと薄らぐようです 笑)

高齢者って優しくしてもらうの、構ってもらうの大好きですよねー。





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プロフィール

POTE

Author:POTE
家族:
ダンナ(じゃっく・仮名)
婆さま(ダンナ母・90才要介護3 脳梗塞で左麻痺の車椅子)
爺さま(ダンナ父・2012.9に95才で逝去 要介護4の車椅子)
子供なし
生来のずぼら・てけとー・スーダラ人間オニヨメにつき、こまめなレスや相互訪問を求められましても、お応えできぬ場合がしばしばございます。
基本きまぐれ更新、きまぐれコメレスの大雑把。
ここはそうゆうところなのね…と生温ーく受け入れて下さる方歓迎。

since2009.2.10

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