WINDING ROAD

在宅介護という名の過酷にして壮絶な終わりなき戦いの日々 自分の病気、ジツボとの関係 荒野に俺は一人だけ(笑)
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苦闘の果てに

すみません、

なんかブログ村のランキング表示と新着記事表示がちょっとおかしいみたいなんですけど、
連休中だからかなー?

相変わらず我が家は、連休?何それ美味しいの?ってな感じですが(笑)

2分割連休も前半終了。
今日は風が強くてちょっと蒸し暑い東京下町で、ワタシは庭の雑草むしりしてました。

皆様はいかがお過ごしでしょうか。
在宅介護には盆も正月も連休もありませんけど、まあ、どなた様も大禍無く穏やかにお過ごし下さい。


*****    *****    *****    *****     
  
 



先頃、目出たく(わは)在宅でお父様を見送り、介護完全卒業なさったpiccoさんのブログ→■で、
(どの記事だったか、コメだったか失念してしまいましたが 汗)

(piccoさーん、先日は突発首都圏オフありがとうございました♡)

訪看さんのアドバイスで、

「まず、慌てない。
 救急車は呼ばない。
 それ(救急搬送)をしたら、今までの在宅の頑張りがみんな無駄になる」

と言うのが有り、

自分なりに調べてみましたところ、

救急搬送し、病院に入ったが最後、

今流行の生前エンディングノートに、「治療はしない、疼痛除去だけ依頼、自然のまま死なせてくれ」

と書いてあっても、

病院側は「そんなの関係ねえ」
\(* ̄□\) ̄□\) ̄□\))))オォ~ット!!


いや、ちょっと乱暴な表現ですが、

先日のNHKスペシャルでも在宅かかりつけ医のDr.が仰っておられましたが、

基本、病院というところは「治療を行う場所」ですので、

そこに搬送してもらっておきながら、「治療するな」というのは、

食事する店に来て、食事は要らん、眠いから座敷で寝かせてくれと言ってるくらい傍迷惑な話でして、


仮に超高齢者、治療による回復の見込み無し で、

家族がエンディングノート示して、治療しなくて良いと主張し、

それを主治医が承知するということは、

下手すりゃ即退院、(或はとっとと出てってくれ とか)

エンディングノートに記載の本人意志に従って、積極的治療行為はしないとしても、

最低限の処置として、血圧と心拍数のモニタリングの為に測定パップ貼付、
酸素吸入マスク装着、
生理食塩水点滴、
尿管挿入 はされる(してくれる?)、


救急搬送途中で心停止や呼吸停止してるならまだしも、

救急搬送されたのに、家族や本人が希望したからと言って、それ鵜呑みにして治療せず死亡したら、

病院の対応としては倫理的にやはりこれは問題でしょう。

最悪、余計な外野親戚からの横やりで、放置死・過失致死扱いで警察介入、裁判沙汰で大騒ぎ。

挙げ句、風評被害で信用ガタ落ち、患者激減、病院の経営にも多大な被害が及ぼされるとなれば、

これは慎重に対応せざるを得ない訳で。


施設で深夜お母様が急死された(発見時呼吸停止)Mさんは、施設には感謝の気持ちだけしかないと訴えたのにも関わらず、

警察による施設スタッフへの事情聴取が随分長期間あったと伺っておりますし、(=n=;)ムムゥ

先頃介護卒業されたkさんに至っては、

入院中のお舅さんがいよいよ状態が思わしく無く、この上は自宅で最期をと決意され、かかりつけ往診医に自宅看取りの旨伝えたところ、

「それでは私は手を引かせて頂きますと」とあっさり退散、(; ̄Д ̄)なんじゃと?

その後、看取りまで担当して下さる新しい往診医を探すのにご苦労なさったということで。
(しかも、契約には主介護者であるKさんではなく、実子の、Kさんご主人に来てもらいたいと言われたと)
(ホントに嫁なんてねえ…)


まあ、治安・秩序の面から言っても、病院で、慣例に則った死亡宣告以外のケースは、「事件性」想定し、

綿密な「調査」によって、疑わしき要因を一つ一つ丁寧に排除して行く行うというのは、

正しい処理手続きかと思います。


そうならない為に、在宅看取りの場合、「何か有ったら、すぐ電話して欲しい」と

往診医、訪看、ケアマネ、ヘルパーさん達が繰り返し言われるのは、

極力、無駄な延命をせず、本人と家族の意向に添う看取りを行うには、

救急病院という医療施設は不適当だという事実。


しかしながら、それを知らない人はあまりにも多いですし、

同時に、自宅看取りの肉体的精神的感情的リスクについても、正しく理解していない方は更に多く、

感情的高揚感や意気込みだけで「看取る」と言いながら、

実際、土壇場になって、

目の前の親(義親)が苦しげに呻いている、
痙攣している
食事もとれない
水も飲めない
熱が下がらない
下痢が止まらない
下血している
痰が絡んで苦しそうにしている
褥瘡ができた
一気に痩せて来た
もう呼びかけても反応しない

そういう現実を目の当たりして、なおかつ何も出来ない自分に耐えきれず、

1時間おきに往診医に電話して、なんとかしてくれと泣きついたり、
結局、救急搬送してしまう場合もあるんじゃないでしょうか。

中には眠るように静かに、様子を見に行ったら穏やかに息を引き取っていたという場合もあるでしょうが、

最期の一連の流れを経なければ、人は死ねないのだと、

人を送るということは、ドラマや映画のように、麗しくも感動的でもなく、

排泄と体液と悪臭と、
死に瀕した人の「死相」を凝視し、
スポイトで水分を垂らし、
発熱した身体に触れ、
苦しげな息遣いを聞き、
命の火が消えて行くその状態を淡々と記録する。
(…やっぱりワタシは人非人の鬼嫁だったかもしれぬ)


そういった壮絶な場面に身を置き、旅立つ人と時間を共有することなのだと、

息が絶える、その一瞬を見届けると言う、希有で高尚で得難い経験の為に、

「介護」という前段階の作業があるのだと、

だから、本気で自宅看取りを決意したのであれば、
それまでの泣き笑い怒りに満ちた波乱の日々を無駄にしない為に、
最期の時間が始まったら、

慌てない

救急車は呼ばない

今出来ることを一つ一つやっていく


そうすれば、後は時間が解決します。


本当の最期の時間が始まったら、長くて日単位、下手をすれば分単位で事態が進行します。

出口の見えない長い真っ暗なトンネルだった介護の年数に比べれば、ジェットコースター並みの信じられないような早さと呆気無さで物事が進展します。

寿命が有れば、回復するだろうし、無ければ、後は血圧が下がり、意識が無くなり、呼吸が止まります。

「お迎え」という奴です。( = =)トオイメ...

次から次へと難問ハードルに立ち塞がられ、
何度もそれを乗り換え、
一つ乗り越えると、更に高いハードルが待っているという正しく介護無限地獄。
(/TДT)/あうぅ・・・・

しかし、そんな修羅場の果てに辿り着いた場所こそが、
あっちこっち繋がれることも無く、
ここに居たいと願った自宅で、
家族に見守られながら、
最期を迎えるということなんです。
ナクナヨ (o・_・)ノ”(ノ_<。)

ただ、その壮絶(じゃ無い場合も勿論有ります)な経緯に、誰もが平然と立ち会える筈も無く、

自分には難しいと思った人は、お年寄りだけでなく主介護者本人の為にも病院で看取られた方が良いと思います。

プロに委ねることは決して恥ずかしいことではなく、寧ろ、冷静に判断した場合、その方がベターな場合が多いと思います。

正規の資格を持った人達が24時間 三交代で丁寧に面倒看てくれるのと、
住み慣れた我が家で、家族(主介護者)が命すり減らして介護を全うするのと、

どちらにも利点が有り、どちらにも不備はある。
(例えば、病院・施設ならほぼ間違いなく湯灌してもらえます)
(うちの爺様は自宅看取りだったので、葬儀会社が清拭はしてくれましたが、湯灌は別料金だったのでパス)
(お綺麗ですから大丈夫ですよって言ってもらったし 笑)
(でも、お風呂大好きな人だったので、鬼嫁ちょっとだけ心残り 涙)



病院(施設)スタッフも誠心誠意対応して下さる筈です。



どちらを選ぶかは、その人次第です。

自宅看取りが偉い訳では決して有りません。
病院での最期が穏やかで心に残る別れの思い出となる場合も多数有ります。

どのような決断であっても、それは尊重されるべき立派な選択であると考えます。
ガンバ!o( ̄へ ̄o)





>5/1 19時に拍手からコメ下さったOさま
続きでお返事させて頂いております。





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>5/1 19時に拍手からコメ下さったOさま

初めまして POTEと申します。
ブログ読んで頂きましてありがとうございます。

終末期の話題につきましては、夫々家庭の状況や考え方が有りますので、迂闊には語れないという配慮(遠慮、気配り)が先に立ち、あまり突っ込んだ話がしづらいということがあります。

余裕が無くなって来ると、善意で言ってくれたことでも、素直な受け取りが出来なくなりますし、所詮他人事よねと捨て鉢になりがちですから、言う側としても神経を使います。

もちょっと神経使ってくれと言いたくなる場合も有ります(笑)

ワタシがブログの中で専横的にほざいているのも、あくまで「うちの場合」であり、どなたにも適応するものでは無いと思いますが、混乱し、どうすればいいのか、指標となる情報を求めているのに、ピントのはずれた慰めや励ましばかりで却って不安が増長する という気持ちは大変よく分かります。

かなり偏った乱暴な論調ですが、「そういう考え方もある」「あっちより自分の方がよほどマシ」と思い、お気持ちが楽になるのであれば何よりです。

答えは自分自身の中にある。

そう自分自身に言い聞かせながらも、常に迷い、不安にかられ、後悔し、反省し、それでも半歩ずつでも前に進むよう努力する。

ぬか喜びと失意、戦意と自己嫌悪。

生きるとはその繰り返しなのかもしれません。

あまりお役には立ちそうも無い無節操ブログですが、どうぞよろしく。

コメント有り難うございました。

Comment

編集
ちょうど介護保険制度が出来始めた頃から一昨年の10月まで、医療事務に携わっていました。
その間に持病のうつ病が悪化して、退職して介護職として働いたり、
また医療事務に戻ったりして、なんやかんやと介護の世界を垣間見てきました。
ついつい医療の世界に首を突っ込んでいた者としては、
いよいよ完全なる高齢社会に突入して、かさむ医療費を少しでも減らすために、
在宅介護や在宅での看取りを推進しているのだと勘繰ってしまいます。

在宅で介護をすること、看取りをすること、
核家族化が進んだなかで、これを推進するのは時代に逆行しているんじゃないの?なんて思ってしまいます。

でも、大好きな家で家族に見守られて最後を迎えたいと言われれば、叶えてあげるべきなんだろうなぁと思います。
在宅での看取りをするためには、なんと言っても医師の協力が不可欠です。
いまは協力してくれる方も増えてきましたが、
相変わらず、いよいよとなった場合、救急車を呼ぶよう指示する方も多いのです。

自宅での看取りをするのなら、惜しみなく協力してくれる医療機関・医師を頑張って探したほうがいいと思います。
2013年04月30日(Tue) 17:10
本人の希望は?
編集
自宅看取りをしようかそれとも病院でスタッフに任せようか…等と鬼嫁が悩んでる等と露知らず
義父はお口だけは達者です
でもこれから先どうするかを本当に悩んでます
POTE さんを始め自宅看取りなさった方々のブログを巡り何が一番良いかを考えるつもりです
転院して明日で丸3ヶ月経つのに未だ退院とも転院とも話が無いのがとても不気味です。
先週は在宅プランで悩んでたのに今は先が見えずどうしたものやら
とにかく今回の記事を参考に病院やケアマネとも相談してみます
ブログ記事書いて下さりありがとうございました
2013年04月30日(Tue) 18:40
>ぽんぽこママさま
編集
お医者も人間ですから。
病気の人を治したくて医者になったのに、本人家族が望んでいるからと言って、何の手当もせずに死ぬのを傍観するような行動はご自身の倫理観に反するのだと思います。

しかし、仰る通り、国は在宅介護、自宅看取りを推奨しているますし、
>かさむ医療費を少しでも減らす というのはさほど穿った見方とはいえない気が致します。

だとしたら、自宅看取りの環境を更に強化し、看取り医の増員、看取りキーパーソンのサポート強化が急がれる筈なのですが…

とりあえず現場でなんとかしろと丸投げするのは、太平洋戦争の頃からこの国の中枢機関の得意なところですから。

コメント有り難うございました。
2013年04月30日(Tue) 20:29
>ツンデレさま
編集
下血もあるとのことで、病院側も決めかねているのかもしれませんね。

大変失礼なことを申し上げますが、年齢的にもお舅様はかなり厳しい状況に有るような。

いずれ急変し、再入院となった時、果たして同じ病院で受け入れが出来るかどうか。

主介護者も完全健康体という状況ではないと承知しておられるのなら、退院したことによるリスクが大きいと見ているのかも。

だとしたら、敢えて危険を冒して退院するより、病院で今しばらく安定するまで様子見の方が良いのではないか という判断のような気もしますが。

いずれにしても、ご本人抜きで一度主治医とよく話し合われた方が良いかと思います。

コメント有り難うございました。
2013年04月30日(Tue) 20:39
編集
いろいろ考えさせられたり、悩むテーマですよね。
父のときは、どこが悪いと言うのは一切なく、ただだんだんに弱っていく・・・
長くないとわかっていても、ダンナからは「オレだって病気(結構重度の鬱病)なのに、これ以上オレを放って親にばかりかまうなら別れる」などと自分勝手としか思えないことを言われていたので、最後を傍で看取ってやれなかったことが、未だに心残りです。
父は、「あ、何か変だ。お母さん」と、母をよぼうとしたのかもしれませんが、たぶん苦しむことなく、あっけなく亡くなったんだと思います。
実家を片付けているときに、母の書いた(たぶん父が手配したと思われる)延命処置を望まない、署名入りの意思表示書が出てきました。
そういえば、昔からそんなことは言ってたっけ・・・
今は、そんなものを書いたことすら忘れているだろうけど・・・
でも、それがある以上は、今回のテーマのことを意識しておかなければならないんですよね?
あしゅらさんが、参考になる本を紹介してらしたので、私も買ってみようかしら・・・
あ~~、重いテーマですね。
でも、大事なことですね。
2013年04月30日(Tue) 21:57
すみません。出遅れました
編集
実家母が路上で転倒(!)
(いつものごとく事後露呈)
今日は実家に行ってました。

幸い(?)顔面スライディングで
お岩顔は痛々しかったですが
骨折も頭部打撲もなく
「これじゃ、どっこも出かけられん」と
しっかり捕まり、喋り倒しの相手をさせられ
すごすご帰って参りました。
年寄り世帯はいつの段階でもデンジャラス。

看取りについて早速の投稿ありがとうございます。
POTEさん書いてくれるんじゃないかと密かに期待してました。
実は先だってお会いできたときに一番お聞きしたかったのがこの件だったんです。
会えた興奮であまり聞きだせないままでしたが…。

山田家の現段階では
もう少し後のような気もするし…でももしかしたら
そう遠くない事にも思えるし。

先の事など読めはしないのですが
心の準備と環境の準備は不可欠のようですね。

ただ、これは介護者側の事情や心情。
果たして看取られる側はどう思っているのか

ブログを書いて自分の望みを発信することも
ネットワークを駆使して情報収集することもない
13番さんたち。

今はまだ意思表示も可能かと思うんですが
まさかこっちから「どうしたいですか?」とインタビューできるものでもありませんものね。

人生最大の幕引きは、きっと瀬戸際まで
結局看取る側が
「多分、こう思ってんじゃないの?」と推測するぐらいしかできません。

実家の父の場合は本人の意とするところではなく
「帰りたい。帰って辛い赤みその味噌汁が飲みたい」を繰り返していたのに最後まで叶わず
病院での看取りとなりました。

今ではそれで良かったのだと思うしかないんですけど…。

いきつくところおっしゃる通り
今出来ることを一つ一つやっていく

それに尽きるってことでしょうね。
2013年04月30日(Tue) 23:55
アハハ〜^^
編集
毎日することがなくてビール呑み過ぎ!
ボ〜〜っとむくみ顔でお会いしたことが、今悔やまれています。

私の拙ブログでもお返事いたしましたが、このことは私も介護ブログを始めて以来、いつか命題として書き記したいと思っていたことです。
繋いでくださってありがとうございます。

図らずも病院へ搬送されて、今辛い思いをされている身近なご家族がおられます。
どちらがいいか悪いかはわかりません。

でもとにもかくにも今は、故人の意思に添えたのはよかったのだろう…
と思う毎日です。

2013年05月01日(Wed) 02:00
難しいわ
編集
救急車を呼ばない選択は、究極の選択だわ。

98歳の父親はまだ生きたいので何かがあれば呼ぶでしょうね。延命治療もして欲しいでしょうから、管につないでも生かして欲しいと頼まざるを得ないです。
家で看取るほど弱ってはいないのでやはり救急車に頼るようになると思われます。本人の意思もちゃんと把握しておかないといけませんよね。
2013年05月01日(Wed) 08:30
>しーさま
編集
ワタシも、実父の死に目に会えなかったので、その後悔は後々まで尾を引きました。
いよいよ危なくなったのが深夜、息を引き取ったのが夜明け頃でしたから、母も呼び難かったとは思います。途中事故でも起こしたらそれこそ大変だし。
本人が意思表示が出来なくなって、配偶者なり実子なりが代理で決断する際、あらかじめ本人の意向が分かるもの(記憶でも文書でも)が有るのと無いのとでは、その場の逡巡と、後年の悔恨の苦しみを救うのに、大きく違ってくるようです。
死を受け入れる、治療を止める、これほど辛く残酷な務めはありません。
でも、ワタシなら、どれだけ辛くとも他人に決められるくらいなら、血を分けた家族に決断して欲しいですけどね。

コメント有り難うございました。
2013年05月01日(Wed) 19:48
>山田あしゅらさま
編集
確かに地雷ネタですが、盆や正月だけしか来ないのに、わざわざ縁起でもない話題を振る身内よりは、同居家族は夕食時にでもTVの介護・看取り・葬儀特集を契機に、雑談から本人の意向を探ることが出来る利点に恵まれています。

うちでも「(寝たきりの方の映像を見て)あんなになる前に安楽死させりゃあ良いんだ」
「(あっちこっち繋がれた姿に)あんな風に回りに迷惑かける前にさっさと死にたいねえ」
「(手術を受けることになった超高齢者が90歳だと聞いて)かーっ、あんな年まで生きたのに、これ以上生きてどうしようってんだ」等々の発言から、

必要以上の延命は無しだな と判断。

皮膚科で変色した皮膚の治療でも、外科手術の選択肢もあると言われたものの、本人に確認したら「今更手術なんかしない」と即答でしたので、ますます大掛かりな治療は一切無し で了解。

あとは、配偶者である婆様の意向次第でしたけど、まあこちらも大筋で爺様の意志に同調でしたし。

そして入院の度に繰り返される帰宅願望と阻止の攻防。
そんなに家が良いんだ。それなら、その最後の望みが叶えられるよう頑張ってみようと決心してしまった人の良いアテクシ(笑)

13番さん達にここまで誠実にひたむきに寄り添って来られたのですから、ご本人に改めて問い糺さずとも、としお&あしゅらさんご夫妻なら、その時どうすべきか、きっと答えは見つかりますよ。

お母様のこともご心配ですね。何とぞお大事になさって下さい。

コメント有り難うございました。
2013年05月01日(Wed) 20:11
>piccoさま
編集
いえいえ、ワタクシこそ眉毛も書かずに間の抜けた顔で行ってしまって失礼しました(大笑)。

偏った情報で無駄な延命と決めつけられていますが、胃瘻も鼻腔栄養も必要で重要な治療であり、それを行ったおかげで体力が回復し、自宅へ帰ることが出来たり家族と過ごす時間を持てた場合も多々有ります。

ただ、それでもいずれ安定期が終わり、次第に悪化して来た時に、それらの医療行為をいつ誰が止めると決断するのか。
停止=死を意味するだけに、続けるも地獄止めるも地獄の、重圧は相当なもので、こんなことならもっと早く死なせてやれば良かったと、胃瘻・鼻腔栄養の処置を後悔するようにもなる。

普通の人にとって、老いも衰弱も死も遠い世界の話で、その認識は常日頃命の最前線で戦う医療者達とは比べ物にならないくらい、蒙昧で未知の領域のことだから。

結果、病院や葬儀会社に誘導されるまま、手続きとしては完了しますが、一切が終わって我に帰った時、こんな筈ではなかった、これで本当に良かったのかと迷いに襲われる。

大切な人を失った人間として、その惑乱も後悔も当然ですが、そういう時に嘆き悲しんでいる人をもっと手厚くサポートしてくれる人なり場所が有れば良いのにと思います。
(溺れる者は藁をも摑むの理通りですが、掴む藁を間違えると人の弱みに付け込む怪しげなのに引っかかって、財産から住まいから根こそぎ寄進させられたりしますから)

コメント有り難うございました。
2013年05月01日(Wed) 20:33
>みかんさま
編集
お父様ご本人が生きることを望んでおられるのなら、それは尊重するべきかと思いますが〜
みかんさん達は大変ですよね…
でも、(凄ーーーく失礼なことを申しますが 汗)口では強いことを言っても、身体は「もう充分」というように、点滴しようとしても血管が潰れたりとか、直接栄養しても充分に消化されないとか、身体自身が延命を拒否する場合もあるそうですので…

死ぬ死ぬ言ってた割に、親戚で一番長生きするとか、もう危ないもう危ないと言われながら低空飛行で持続する方も居られますし、さっきまでご機嫌で一杯やってTV見てたのに寝ちゃったのかと思ったら息が止まっていたということもあったりして…

お年寄りの生命力の不思議は全く持ってミステリーです。

すべては神様だけがご存知かと。

付き合う家族は大変ですけどね。

コメント有り難うございました。
2013年05月01日(Wed) 20:42
正しい選択とは
編集
母も元気な時は
「あちこち切りちゃごって 管に繋がれて は嫌よ!」
とはっきり言ってました

が…

1人歩きはできないものの 車椅子には座り
声かけに反応を見せる状態で嚥下不能となった時
経管栄養にするのは自然の流れでした

ところが
そのまま どんどん弱って行く母を見ると
自分は一番嫌がっていた 管に繋がれた延命治療を選んだのではないか 
との自問自答が襲って来るのです

最終段階に来た時「とにかく もう切らないでほしい」
と言ったら 施設長(看護士)さんが
「この状況で病院に行けば気管切開は免れないから
それなら 救急車は呼びませんよ」
と言われ 了承しました
理事が医師であったので 書類に関しては難しい事は
起こりませんでしたが

どのタイミングで どう選択するのが正しかったのか
未だ答えは見つかっていません
2013年05月02日(Thu) 09:38
>TOMAMAさま
編集
そもそも「正しい選択」があるのか?ということでもあります。

おぎゃあーと生まれ落ちた瞬間から、老いさらばへ息絶える時へ向かって生きるのが人間の宿命であると、頭では承知していながら、

「死ぬのは怖い」
「痛いのは嫌、苦しいのも嫌」
「行かないで」
「居なくならないで」

そういう死への恐怖、生への執着、置いて行かれることの怯懦、

その宿命、業を如何ともし難い、人の弱さ愚かさ、

縁起でもないだの、まだ大丈夫だのと、それらから目を背け続けて、それで「逃げ得」させてもらえるほど人生は優しくも甘くも無い。

どんなに心身削って尽くしても、日を追う毎に、あれで良かったのか?他に手だてが有ったんじゃないかと迷いは生じ、

様々な理由で関われなかった人もまた、大切な人の死という大きな失意と悲しみに苦しみ、自が対応に疑問や自責の念にかられずには居れない。
(今更ながらの供養に急に熱心になったり、生きてる時には寄り付かなかったのに、後出しじゃんけんのように、主介護者に向かって四の五の不平不満を言い立てる人が多いのは、無意識のうちに罪悪感から逃れようとしていると思われ)
(まー、親と言う防波堤が無くなって、残るは欲の皮突っ張った子供兄弟親戚連中だけだったという場合もありますが 恐)

詰まる所、人を送るということは、悲しく虚しく悔いる ということなのだと。
自分が如何に無力で弱虫で泣き虫で恐がりで、
そんな自分に、損得抜きで寄り添い支えてくれた人が居たからこそ、親を送ることが出来たのだと、
自分の価値の再確認と、周囲への感謝、「謙虚」の意味、

そこに気づくことが、「順番」であり、「看取り」の真意なのではないかと思うのです。

コメント有り難うございました。
2013年05月02日(Thu) 10:49












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