WINDING ROAD

在宅介護という名の過酷にして壮絶な終わりなき戦いの日々 自分の病気、ジツボとの関係 荒野に俺は一人だけ(笑)
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エースをねらえ!を知っていますか 2

前回はお蝶夫人の珠玉の言葉でしたが、

今回は鬼コーチ宗方仁の言葉から。



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無理矢理苦労させられる人間は幸せだ。知らない間に伸びる。


我慢できないものをこらえるから価値があるんだ。


自分に勝つと言うことがどういう事がわかるか。
長所を伸ばし短所を克服して長所にさえ変えてしまうことだ。
力を出すには自信がいる。自信を付けるにはとことん練習することだ。
誰もが恵まれた長所を伸ばし、短所を努力で補って試合に出ているんだ。
二度と素質などと言う言葉を口にするな。


より高く飛ぶ前にはより低く身をかがめなければならない。
だからいま骨の髄まで苦しんでおけ。


良いも悪いもない 
なに事であれ事が大きければ大きいほどまたエネルギーも大きい。
前向きに解決できれば
その人間の人生をどれほど高く押し上げてくれることか。


目的を持つことの偉大さが、今におまえにもわかる。


結局 おれは父を求めていたのだ。
うらみ憎み呪いぬいた激情は、愛されたいと慕う心の裏返し。
最近やっと気がついた。


おれも母も不幸ではなかった。命がけで愛していったのだ。
命がけで愛せる相手に巡り会えたのだ母は。
不幸なはずがない。
おれも生まれてきてよかったと思っている。


男なら、女の成長を妨げるような愛し方はするな。


おれは この世に耐えられぬほどの悲しみも苦しみもないと信じている。


昔おまえくらいのころ、忘れたいことがあって、ついでに体に寿命があることも忘れ果てたことがある。

『この一球は絶対無二の一球なり。されば身心をあげて一打すべし』
あの言葉が好きで、必ず暗唱してからプレイした。

だがその言葉が心底骨身にしみたのは、テニス生命を絶たれてからだった。

この世のすべてに終わりがあって、人生にも試合にも終わりがあって、いつと知ることはできなくても、一日一日、一球一球、必ず確実にその終わりに近づいているのだと。
だからきらめくような生命をこめて、本当に二度とないこの一球を精いっぱい打たねばならないのだと、
あとから思った。


自由に動けるうちに、自由に走れるうちに、悔いのないプレイをしておけ。
おれの落ちた落とし穴に、おまえは落ちるな。


そうとも。
人間この世に生きて、耐えられぬほどの苦悩も悲哀もあるものか。
いずれ、何もかも思い出になる。



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「エースをねらえ!」はスポーツマンガ、テニスマンガでありながら、
人生の生き様に切り込んだ精神世界の深さ、人生を如何に生きるべきかを問う、非常に精神性の高い、哲学的な作品であったことに、今更ながらに気付かされます。

そして、現実世界において、傷つき迷い泣き暮れながらも、己が進むべき道を見出し、
寡黙に、誠実に、ただひたすらにひたむきに為すべきことを為し、
結果、信頼と実績を築きあげた人、重き務めを果たしきった人が直ぐ身近に居るという幸運に感謝し、
心から賞賛と祝福を捧げたいと思います。





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Comment

残るわ~
編集
エースをねらえ、は読んだことがないですが、言葉は迫るものがありますね~
寡黙に現実をこなしそれによって信頼と実績を築く、なんて今の私にグサグサとささりますわ~
現実は言葉より過酷だったりもしますが、とりあえず受け入れて、やるしかないみたいですね。
2012年12月16日(Sun) 08:49
深いですよねー
編集
エースをねらえ!!は大好きでした

あのひたむきに努力する選手達には憧れました
そしてお蝶夫人や宗像コーチ素敵でしたね

あぁ懐かしい…惜しむらくは結婚するときに友達に全巻譲ってしまったこと…
もう一度読み返したいです
2012年12月17日(Mon) 12:46
コーチも藤堂さんも^^
編集

高校の部活で、バドミントンしてました!
「『この一球は絶対無二の一球なり。されば身心をあげて一打すべし』
これを唱えながら、コートに入ってました
うさぎとびしてました
コート内フットワークしてました
みゆきの♪時代を 歌いながら 合宿しました なつかしいぃわぁ

髪飾りに鈴つけたひろみが
「この中に好きな人がいますか?」の問いに
応えられず…の描写やゴエモンが思い出されます
2012年12月17日(Mon) 21:55
>ツンデレさま
編集
70年代の作品ですから、絵は悶絶モノですが(笑)、読み進めていくほどにその哲学性に嵌ります。
作者の方は描いてる時はまだ20代くらいだった筈なんですけどねー。
何故、ここまで深く、人とは如何に生きるべきかを説くことが出来たのか、不思議です。
(その後、宗教家に転身されたと聞いて、納得)
大切なことはマンガに全て教えられた世代です。
最近、マンガすら読んでないなー。

コメント有り難うございました。
2012年12月17日(Mon) 22:45
>みかんさま
編集
(すみません 順番ずれました)
言うは易く行うは難し ですが。
その言葉に励まされ、勇気づけられればと思い、紹介した次第です。
「いずれ思い出になる」
ほんの三ヶ月まえまでは、ワタシも「口で言うのは簡単だよね」と自虐的にせせら笑ってました。
でも、動いて欲しい時は山のように動かなくとも、その時が来ればこちらが戸惑うくらい一気に大きく動くものだということだけは実感しております。
問題はそれがいつか…ということですが。

コメント有り難うございました。
2012年12月17日(Mon) 22:50
>ぷーさんの隣♪さま
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初めまして POTEと申します。

少女マンガらしく10代の女の子の揺れる想いも描かれていて、まさしく青春の光と影でしたね。
自分が何ものかも知らず、何が出来るのか、何が出来ないのか、理想と現実のギャップに苦しみ悩む多くの女子が、泣き虫で引っ込み思案ででも頑張り屋さんの岡ひろみに自分を投影して、夢中になっていた遠い日の記憶です。

コメント有り難うございました。
2012年12月17日(Mon) 22:58
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ワタクシ・・・何を隠そうテニス部でした。
でも・・・実のところあまり読んでないのですよこれ。
ネットでオトナ買いしてみようかしら?と思いました。
一言一言が・・・ずんと響きますわ。
2012年12月18日(Tue) 08:53
>こらいおんさま
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『負けることを怖がるのはおよしなさい!たとえ負けても、あたくしはあなたに責任を押しつけたりしない。それより、力を出しきらないプレイをすることこそを恐れなさい!!』
…病院で死んでくれれば、その方が気楽だし助かるけれど、それで本当にいいのか?ホントはもっと出来たんじゃないか?そう後々後悔するくらいなら、在宅でとことんやってやりたい、そんな思いから自宅看取りを敢行した。
爺様の為と言いながら、それも確かにありましたが、実はワタシが後悔しないよう、ワタシ自身の為にそうさせてもらったというのが本当のような気がします。

『大した苦しみもないかわりに、大した喜びもなく大した努力もしないかわりに、大した成果もえられずぬるま湯につかったように、生きて死んでいく人間が多い中で慟哭をあじわえる人間は、幸せなのだと!だからその慟哭と、真正面から対決しなければ、真の人生は生きられないのだと!』

何しろ昭和のマンガですから、時代背景とか(公衆電話とかが重要アイテムなんですよー当たり前だけどネットもケータイも無いんですよー)キャラの顔とか正直噴飯モノですが、読んでるうちにそんなこと全く気にならなくなります。

重い言葉のオンパレードです。しかし、慰められ、励まされ、指針となる言葉が随所にあります。
連載当時より10年後、20年後、更に今読み返すほどに、感銘の度合いは一層深まってきます。
それはある意味、自分達が、無限の未来が待つ主人公から、それを送り出せたことが自らの誇れる功績とし、終い支度の季節に入った人物の実感に近しい立場になったからかもしれません。

マン喫でも読めると思いますが、文庫全巻購入しても6,000円、中古なら更にお安くなるかもしれませんし、大人買いしても損はないと思います。

コメント有り難うございました。
2012年12月18日(Tue) 09:59
編集
キャラクターは知ってる位で 
あまり詳しくは知らないのですが
漫画とは思えない言葉の深さですね
そして POTEさんの言葉も沁みる…

考えて 自分に忠実に厳しさに飛び込んで
歩む人間が損をする世の中みたいだけど
逃げてく人には永久に分からない物がきっとある
と思いますよ 
2012年12月18日(Tue) 18:01
>TOMAMAさま
編集
実家の母とはなさぬ仲のワタクシですが(笑)、母なりに、介護させるため嫁に出してしまったようで心配だったようですし、通夜の席で見たワタシの老け込みように(気力だけで保ってた頃でしたから)、よくもウチの娘をここまでこき使いおってと、居ても立っても居られない悔しさに震えていたそうです。
お前一人が貧乏くじ引いて、実の子供はシモひとつ拭かないなんて、どうかしてるんじゃないのか。
もう充分だから、子供も居ないことだし、婆さんは実の娘に任せて帰って来い。
などと、感情的な電話を寄越してきますが、実家に帰ったら帰ったで、母娘の血で血を洗うバトルが勃発するのは火を見るより明らかです。
義父母なら耐えられても、実母に罵られたら、理性のタガが吹っ飛んで、介護殺人にまで行きかねませんので、テケトーに聞き流してます。
(どっちも強情で引き下がる気無いから)

まあ、外野の人には負け惜しみにしか聞こえないんでしょうが、ワタシは爺婆様のお陰で随分多くのことを学ばせてもらいましたし、経験させてもらいました。

いつかご褒美があるよ とよく言われました。
それを心の支えに、頑張って来ることが出来た一方で、既にご褒美はもう受け取っているんじゃないかという気もしています。
自分が如何にとるに足りない役立たずであるかを思い知り、学習することの必要性を痛感し、努力すれば成長出来ることに気付きました。
そして、同じように苦悩し戦っている数多くの同胞、同志、戦友に巡り会うことが出来ました。
これが果報でなくてなんでしょう。

決して楽ではない日々でしたが、これほど豊かで実り多い年月は、不平不満だけを吐き散らし、自らは動こうとせず、与えられる筈の恵みを待って座して口を開けているだけでは到底得られなかった筈です。
人生、無駄にするのも有意義にするのも、自分次第です。
上手くいったのは周りのお陰、上手くいかないのは自分の責任。
そのことに気付くことが出来ただけでも、介護はワタシにとって多大な恩恵となったと信じています。

コメント有り難うございました。
2012年12月18日(Tue) 20:00












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