WINDING ROAD

在宅介護という名の過酷にして壮絶な終わりなき戦いの日々 自分の病気、ジツボとの関係 荒野に俺は一人だけ(笑)
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2012.3.11

一年前の、あの日は

爺婆様がショートから帰って来た翌日で、

我が家は、立てかけてあったCDケースが落ちて、ひびが入ったくらいで、

殆ど被害は無かったけれど、

情報錯綜、

電話は固定、携帯共に使い物にならず、

首都圏交通網は大混乱、

政府勧告に従って、ダンナは帰宅せず、

余震の続く不安な夜を、年寄り抱えて、表面上は平静を装いながら、

風呂にも入らず、N◯Kとネットにかじりつき、一人耐えてました。

あれから一年…

当時の記事を読み返すと、

割と、冷静で、肝の座った、男前な記事が多くて、

我ながら、

アンタ、結構やるじゃん と自画自賛。

地震そのものより、その後の買い占めに寄る物資欠乏の方が苦労しました。

毎日2~3軒、スーパー回らないと、欲しいモノがなかなか手に入らなかったし、

コメが底をつきかけた時は、

戦後の食糧難経験してる年寄りには何としても、朝のパン食と夜のご飯を欠かさないよう、

ワタシは、カステラの切り落しやらピザ、餅を食べて、凌ぎました。

幸い、2kgコメが買え、その後は次第に物流も回復して来たので、普通に何でも買えるようになって助かりましたけど、

ひと月近く、一人で焼き餅食べてたので、正月のお雑煮はギリギリ譲歩したけど、

焼き餅はもー見たくもないです。

山崎パンの、金髪の女の子がパンを頬張ってる絵のトラックが近所の幹線道路を走ってるのを見て、

あんなに胸が熱くなったのは後にも先にも、あの時が初めてでした。

東京で生活している者ですら、そうなのですから、避難所生活をされておられた方にとって、炊き出し、食料支援、医薬品提供がどれほど重要であったかと思います。

今日は爺様を床屋に連れて行きました。
義姉上の来訪から、妙に強気の婆様と、軽くやり合い(笑)、
爺婆様は和室で就寝。
じゃっくは、暖房の効いたリビングのソファでうたた寝しています。

この、穏やかで平穏な夜を過ごせる幸せに感謝すると共に、
震災で亡くなられた方々の御冥福と、
今尚復興途上の道程にある、東北の皆様にとって、少しでも明るく笑える日が増えますように。




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Comment

後、千年後でいいわ。
編集
本当に大変だった3月11日。家も古いので崩れるかと父親を庭先に避難させたけれど、寒くて寒くて直ぐに部屋に戻りストーブを付けたがる父親を「我慢して危ないから!」と説得し続けた記憶しかないわ。どこも大変だったようだけれど、電気がストップしたこちらはな~にも情報がなくて、ひたすら余震におびえてましたっけ。
こんなことは後千年起きないで欲しいわ。
2012年03月12日(Mon) 08:48
編集
震直前に義母を亡くした私達家族は
震災で家族を失った方々がとシンクロしてしまい
もう震災番組は涙が止まりません
ほぼ号泣です

震災の影響と言えば県内に進んでいた原発建設がストップした事でしょうか

せめて天災の無い穏やかな時間で過ごしたいですね
2012年03月12日(Mon) 11:55
編集
>みかんさま

当日の東京の報道は、交通網のマヒと、都内で崩落した天井の下敷きで亡くなった方や、東京湾岸のコンビナート火災くらいしか情報が入って来ませんでした。
それでも、この程度で済んでいる筈は無い、何処かで、何か、もっと恐ろしいことが起きているのではないか、そんな漠然とした不安と、無事に明日を迎えられるのか、そんな思いで夜を過ごしてました。
(日付が変わったあたりで、疲れて、服着たまま寝ちゃったけど)

地震、津波、そして原発。
何故、あんなことが起きてしまったのか。
これからワタシ達はどうすればいいのか。

取り敢えず、何処かに避難することもなく、このまま住み慣れた土地で、爺婆様の生を全う出来ることを願い、
出来れば、介護を卒業しても、元気で、そこそこ長生きして、
世界が感嘆した、礼節があり、忍耐力があり、互いに助け合う日本人の一人として、この国難を乗り越えていきたいと思います。
(当面は国難の前に、在宅介護の苦難克服が先)

コメント有り難うございました。

2012年03月13日(Tue) 19:49
編集
>ツンデレさま

このところ、爺婆様が色々手強くて、幸か不幸か、震災番組はおろかTVは殆ど見ていないので、TVによる落涙のカタルシスはありません。
唯一、震災追悼式典の黙祷と、天皇陛下のお言葉だけは見ましたが、途中で陛下が貧血でも起こしてお倒れになったらどうしようと、ハラハラしっ放しで、肝心のお言葉は何一つ覚えて無いと言う有様です。

思えば、水素爆発で2号炉縦屋が吹っ飛び、近隣の住民、入院患者、老人施設入居者が混乱のまま、急遽脱出を余儀なくされ、5時間だの8時間かけて他の県の受け入れ先に到着したものの、高齢患者、要介護者は強行軍に耐え切れず(そらそーだろ)、次々と容態悪化、死亡したことや、
避難たって、2~3日もすりゃ帰れるだろうと、愛玩動物を家に残して避難バスに乗り込んだ人達が、何ヶ月も後になって漸く帰宅した時のこととか、
もー想像しただけで、辛くて苦しくて、どうしようもなかったのだけれど、何も出来ない自分が情けなくて、東京が好き勝手に電気を使う為に、福島にどんどん原発作って、その結果、あの人達をふるさとから追い出してしまったことが、東京に住む者として、本当に申し訳なく恥ずかしく、

そんなことを一人考え、誰にともなく謝罪し、悔恨に涙する。
そんな、3.11でした。

コメント有り難うございました。
2012年03月13日(Tue) 20:07












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