思えば、爺様という人は、身体頑健だけど、病気や怪我の多い人で、ざっと羅列しただけでも、
60代の頃、胃がんで胃の2/3を切除
(本人告知はせず、胃潰瘍という事で通してる)
定年退職後、次の仕事が決まった矢先に、膵炎で自宅療養
1998 左大腿骨骨折 ボルト埋め込み手術で入院
(杖を使うようになったけれど、以前と殆ど変わり無く復活)
1999 家をバリアフリーに建て直し、同居開始
2004 歩行中、足が痺れて動けなくなり、徒歩で掛かり付け医の受診が出来なくなった為、近所から頂いた車椅子でPOTEが付き添い送迎
2005 介護サービス利用開始
要介護1
週二回の通所介護(徒歩乗車)
外出は車椅子だが、家の中の移動は伝わり歩きで自立
風呂・トイレも自分で出来る
2010 腸骨骨折で入院
この骨折に先立ち、相当足元がおぼつかなくなっており、夜中トイレに行こうとして廊下で転倒、毎月左右交代で掌裂傷してた
要介護4
訪問入浴サービスを二ヶ月利用するが、通所介護(但し車椅子乗車)復活で、入浴サービスは終了
2011 婆様が脳梗塞で入院
婆様抜きの三人の生活で、ある日、異様なハイテンションで 通所介護から帰宅し、翌朝起こしに行くと起き上がれず、救急搬送。
腰椎圧迫骨折で入院
一ヶ月後退院するも、ベッドから上体を起こす事も出来ないという、ケアマネが唖然とする程のADL(生活機能)低下で、リハビリ病院から退院寸前だった婆様は、老健にて更に三ヶ月の入所決定
爺様も老健にて10日間のショートステイで短期集中特別リハビリ敢行
ベッドから車椅子への移乗や、自分でズボン穿けるまで回復して帰宅
いや~、しかし、こうやって振り返ってみると、同居しての13年って、爺様の傷病履歴以外の何物でもないような気がする。
(ノ_-;)ハア…
医者通いの度に車椅子押すのから始まって、怪我だ、発熱だ、救急車だ、入院だ、介護認定手続きだと、借り出され、
それでも、婆様がまだお元気な頃は自由時間も充分あったし、家の事は婆様に任せて、息子夫婦は一泊旅行♪という事も出来た。
しかし、頼みの婆様が脳梗塞左半身麻痺の、ダブル在宅介護となった以上、辛うじてダンナさんが休みの日のランチに1時間程度外出するくらいで、
(それだって、爺様のべんべん次第で、徒歩5分の回転寿司銚◯丸で、速攻食べて帰って来る事も)
(規則正しく朝食後に出てくれれば良いけど、三日四日停滞するのは当たり前)
(で、出始めた途端、今度は下痢べんべんになって、間に合わず、後片付けとおシモ綺麗にするのに大仕事になるという)
今となっては、爺婆様が在宅する限り、ワタシの自由時間は皆無と言って良い。
家事や介助の仕事が無いなら、その時間はフリーだろうと、介護経験の無い方はおっしゃいますが、
フリーじゃないんですねー。
家事や、お尻拭いたり、頼まれたモノを収納から出したりという、直接の仕事に従事してないだけで、その時間は「待機」「拘束」「見守り」という立派な臨戦態勢なんですな。
唯一、解放されるのが通所の半日と、ショートステイの数日なんだけど、
折角二人が不在なのに、ホームコールの幻聴に脅かされるって、自分で自分が情けないというか、如何に神経すり減らしてるか、分かろうというモノで、
で、それが辛くてどうしようもないのかというと、最初はまあ、忸怩たる想いに駆られる事もあったのだけれど、
人間、よくしたもんで、時間の経過と共に、そういう拘束された状態にも慣れて来ちゃうんですよ。
そうすると、その状態がデフォになって来て、
「あれがやりたい」とか「ここに行きたい」とか「あれが食べたい」とか「あれが欲しい」と言う欲求が、妙に薄れて来るんですね。
我慢とも違う。優先順位が変化して来るとでも言いますか。
出来ないんだからしょうがないという諦観から、そもそも、その欲求を満たす事にどれだけの意味や意義や必要性があるのかという疑問すら湧いて来る。
この感覚はワタシだけなのかと思ってたら、
「僕のためいきは、どこへいく」のスティックさん
も同じような事を書かれてまして、
ワタシは同居は13年ですが、本格的な介護に突入したのはここ一年の新参者ですが、スティックさんのように何年も介護に携わっておられる方は、好むと好まざるとに関わらず、いつしか我欲が削ぎ落とされ、没我の境地に至るのかと思わずには居られませんでした。
そもそも介護なんて「滅私」であったり「無償」であったり「無我」でなければ出来ないという事なのかもしれません。
(文句たらたら、腹の中ドロドロ、殺気殺意憤怒激怒にまみれ、高尚さの欠片も無い介護者ですけど)
(悟りへの道は遠い)
(いや、悟らなくても良いですから、早く終わりにさせてほすい…)
(○ `人´ ○) タノンマスー!
ランキング参加中
よろしければクリックを
拍手して下さるアナタに感謝
60代の頃、胃がんで胃の2/3を切除
(本人告知はせず、胃潰瘍という事で通してる)
定年退職後、次の仕事が決まった矢先に、膵炎で自宅療養
1998 左大腿骨骨折 ボルト埋め込み手術で入院
(杖を使うようになったけれど、以前と殆ど変わり無く復活)
1999 家をバリアフリーに建て直し、同居開始
2004 歩行中、足が痺れて動けなくなり、徒歩で掛かり付け医の受診が出来なくなった為、近所から頂いた車椅子でPOTEが付き添い送迎
2005 介護サービス利用開始
要介護1
週二回の通所介護(徒歩乗車)
外出は車椅子だが、家の中の移動は伝わり歩きで自立
風呂・トイレも自分で出来る
2010 腸骨骨折で入院
この骨折に先立ち、相当足元がおぼつかなくなっており、夜中トイレに行こうとして廊下で転倒、毎月左右交代で掌裂傷してた
要介護4
訪問入浴サービスを二ヶ月利用するが、通所介護(但し車椅子乗車)復活で、入浴サービスは終了
2011 婆様が脳梗塞で入院
婆様抜きの三人の生活で、ある日、異様なハイテンションで 通所介護から帰宅し、翌朝起こしに行くと起き上がれず、救急搬送。
腰椎圧迫骨折で入院
一ヶ月後退院するも、ベッドから上体を起こす事も出来ないという、ケアマネが唖然とする程のADL(生活機能)低下で、リハビリ病院から退院寸前だった婆様は、老健にて更に三ヶ月の入所決定
爺様も老健にて10日間のショートステイで短期集中特別リハビリ敢行
ベッドから車椅子への移乗や、自分でズボン穿けるまで回復して帰宅
いや~、しかし、こうやって振り返ってみると、同居しての13年って、爺様の傷病履歴以外の何物でもないような気がする。
(ノ_-;)ハア…
医者通いの度に車椅子押すのから始まって、怪我だ、発熱だ、救急車だ、入院だ、介護認定手続きだと、借り出され、
それでも、婆様がまだお元気な頃は自由時間も充分あったし、家の事は婆様に任せて、息子夫婦は一泊旅行♪という事も出来た。
しかし、頼みの婆様が脳梗塞左半身麻痺の、ダブル在宅介護となった以上、辛うじてダンナさんが休みの日のランチに1時間程度外出するくらいで、
(それだって、爺様のべんべん次第で、徒歩5分の回転寿司銚◯丸で、速攻食べて帰って来る事も)
(規則正しく朝食後に出てくれれば良いけど、三日四日停滞するのは当たり前)
(で、出始めた途端、今度は下痢べんべんになって、間に合わず、後片付けとおシモ綺麗にするのに大仕事になるという)
今となっては、爺婆様が在宅する限り、ワタシの自由時間は皆無と言って良い。
家事や介助の仕事が無いなら、その時間はフリーだろうと、介護経験の無い方はおっしゃいますが、
フリーじゃないんですねー。
家事や、お尻拭いたり、頼まれたモノを収納から出したりという、直接の仕事に従事してないだけで、その時間は「待機」「拘束」「見守り」という立派な臨戦態勢なんですな。
唯一、解放されるのが通所の半日と、ショートステイの数日なんだけど、
折角二人が不在なのに、ホームコールの幻聴に脅かされるって、自分で自分が情けないというか、如何に神経すり減らしてるか、分かろうというモノで、
で、それが辛くてどうしようもないのかというと、最初はまあ、忸怩たる想いに駆られる事もあったのだけれど、
人間、よくしたもんで、時間の経過と共に、そういう拘束された状態にも慣れて来ちゃうんですよ。
そうすると、その状態がデフォになって来て、
「あれがやりたい」とか「ここに行きたい」とか「あれが食べたい」とか「あれが欲しい」と言う欲求が、妙に薄れて来るんですね。
我慢とも違う。優先順位が変化して来るとでも言いますか。
出来ないんだからしょうがないという諦観から、そもそも、その欲求を満たす事にどれだけの意味や意義や必要性があるのかという疑問すら湧いて来る。
この感覚はワタシだけなのかと思ってたら、
「僕のためいきは、どこへいく」のスティックさん
も同じような事を書かれてまして、
ワタシは同居は13年ですが、本格的な介護に突入したのはここ一年の新参者ですが、スティックさんのように何年も介護に携わっておられる方は、好むと好まざるとに関わらず、いつしか我欲が削ぎ落とされ、没我の境地に至るのかと思わずには居られませんでした。
そもそも介護なんて「滅私」であったり「無償」であったり「無我」でなければ出来ないという事なのかもしれません。
(文句たらたら、腹の中ドロドロ、殺気殺意憤怒激怒にまみれ、高尚さの欠片も無い介護者ですけど)
(悟りへの道は遠い)
(いや、悟らなくても良いですから、早く終わりにさせてほすい…)
(○ `人´ ○) タノンマスー!
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拍手して下さるアナタに感謝
2011.06.30 / Top↑
スティック
紹介ありがとうございます。
何か、POTEさんのブログは優等生で、私のは悪ふざけのようで恥ずかしいです(笑)
きっと、私はブログで介護の現実から逃げているのかもしれないです。
長くなると、どうしようもない気持ちになるものです。
諦めていても時々「怒」の気持ちが出るのも本音です。
まぁ、それなりに頑張っていきましょう!
そちらは暑いので、お体気をつけてください!
何か、POTEさんのブログは優等生で、私のは悪ふざけのようで恥ずかしいです(笑)
きっと、私はブログで介護の現実から逃げているのかもしれないです。
長くなると、どうしようもない気持ちになるものです。
諦めていても時々「怒」の気持ちが出るのも本音です。
まぁ、それなりに頑張っていきましょう!
そちらは暑いので、お体気をつけてください!
POTE
「優等生」
勿論、スティックさんは好意から褒め言葉として、そう仰って下さったのですが、ワタシの内包する問題点を言い当てられたようで、ぎくりとしました。
「いい子」でなければ愛されない強迫観念。
「いい子」になることでしか得られなかった評価。
どこに出しても恥ずかしくない「いい子」であれと、身勝手に掛けられた期待。
そして、分不相応にも「いい子」になろうとした自分。
それは、過去の話ではなく、現在も続いているような気がします。
放棄する勇気がなく、なし崩しに始めてしまったダブル介護ですが、一切が他人任せだった訳ではなく、ワタシ自身が選択し決断した結果でもあります。
何故、自分の親でもない、舅と姑の介護を一人で請け負ったのか。
誰に何を認めて欲しかったのか。
等価交換に、何を得る事を望んだのか。
スティックさんのおかげで、ワタシ自身気付かなかった、或は気付いていても目を背け、気付かない振りをしていた、ワタシの根底に潜む問題と向き合うきっかけを持つ事が出来ました。
おそらく、介護同様、この問題に対する答えも、終生、模索して行く事となるようです。
コメント有り難うございました。
(何やら小難しい話になっておりますが、当方が勝手に考察しているだけですので、お気になさらず)
勿論、スティックさんは好意から褒め言葉として、そう仰って下さったのですが、ワタシの内包する問題点を言い当てられたようで、ぎくりとしました。
「いい子」でなければ愛されない強迫観念。
「いい子」になることでしか得られなかった評価。
どこに出しても恥ずかしくない「いい子」であれと、身勝手に掛けられた期待。
そして、分不相応にも「いい子」になろうとした自分。
それは、過去の話ではなく、現在も続いているような気がします。
放棄する勇気がなく、なし崩しに始めてしまったダブル介護ですが、一切が他人任せだった訳ではなく、ワタシ自身が選択し決断した結果でもあります。
何故、自分の親でもない、舅と姑の介護を一人で請け負ったのか。
誰に何を認めて欲しかったのか。
等価交換に、何を得る事を望んだのか。
スティックさんのおかげで、ワタシ自身気付かなかった、或は気付いていても目を背け、気付かない振りをしていた、ワタシの根底に潜む問題と向き合うきっかけを持つ事が出来ました。
おそらく、介護同様、この問題に対する答えも、終生、模索して行く事となるようです。
コメント有り難うございました。
(何やら小難しい話になっておりますが、当方が勝手に考察しているだけですので、お気になさらず)
2011/06/30 Thu 20:19 URL [ Edit ]
picco
>と、その状態がデフォになって来て
それ、すごくわかります。
>我慢とも違う。優先順位が変化して来る
そうなんです、そうなんです。
「よくがんばってるね」「たいへんやね~」など言われると
『なんか違う…』
と思うのは、そういうことなんですね。
ただ実の親の場合、何も言わずそれに付き合ってくれてる主人にストレスが溜まってきている…と感じる時があって
自分はそれで良くても、きっと主人は辛抱してくれてるんだろな~と、申し訳ないです。
そっちの方が私のストレスになったりします。
それ、すごくわかります。
>我慢とも違う。優先順位が変化して来る
そうなんです、そうなんです。
「よくがんばってるね」「たいへんやね~」など言われると
『なんか違う…』
と思うのは、そういうことなんですね。
ただ実の親の場合、何も言わずそれに付き合ってくれてる主人にストレスが溜まってきている…と感じる時があって
自分はそれで良くても、きっと主人は辛抱してくれてるんだろな~と、申し訳ないです。
そっちの方が私のストレスになったりします。
POTE
分かって頂けて、嬉しいですー。
実際に介護に携わった人間でないと、この微妙な意識の変遷って理解し難いようなんですけど、
口ではどう罵ろうと、たとえそれが嫌々でも、介護者は感情を捨て去ることで、苛酷で孤独な奮闘に耐えられるよう己を制御しているような気がします。
要介護者の為に、介護者は苦労し、
介護者の苦闘に、要介護者は思い悩み、
その姿を見る家族もまた、心穏やかには居れず、
誰もが誰かのせいで、苦悩し、耐え、疲弊し、迷い、ストレスを抱え、それでも投げ出す事も出来ず、ただ目の前のことを一つずつクリアしていくしか無い。
こと介護に限った話ではなく、生きるとはそういう艱難辛苦に耐えるという事なのかもしれません。
まさに、日々此れ修行ですね。
コメント有り難うございました。
実際に介護に携わった人間でないと、この微妙な意識の変遷って理解し難いようなんですけど、
口ではどう罵ろうと、たとえそれが嫌々でも、介護者は感情を捨て去ることで、苛酷で孤独な奮闘に耐えられるよう己を制御しているような気がします。
要介護者の為に、介護者は苦労し、
介護者の苦闘に、要介護者は思い悩み、
その姿を見る家族もまた、心穏やかには居れず、
誰もが誰かのせいで、苦悩し、耐え、疲弊し、迷い、ストレスを抱え、それでも投げ出す事も出来ず、ただ目の前のことを一つずつクリアしていくしか無い。
こと介護に限った話ではなく、生きるとはそういう艱難辛苦に耐えるという事なのかもしれません。
まさに、日々此れ修行ですね。
コメント有り難うございました。
2011/07/01 Fri 20:01 URL [ Edit ]
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