おまえたち人間には信じられないようなものを俺は見てきた。
オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。
タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム。
そんな思い出も時間と共にやがて消える。
雨の中の涙のように。
死ぬ時が来た。/ロイ・バッティ(ルドガー・ハウアー)「ブレードランナー」
I’ve seen things you people wouldn’t believe.
Attack ships on fire off the shoulder of Orion.
I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate.
All those moments will be lost in time, like tears in rain.
Time to die.
7/26(水)葬儀日程が決定すると、もう大きく動いて取り決めるような仕事はなく、
午前に改めて菩提寺に挨拶に伺い、大住職と大奥様に戒名の相談。
(爺さまの時は婆さまの「立派な葬儀で送り出したい」という意向が最優先だったので)
(先代(爺さま両親・じゃっく祖父母)同様に院号戒名をお願いし、大台をお支払い 笑)
(婆さまは自分は院号なしで構わないと言っていたので、今回あわよくば下のランクでいけるかと思ったが)
(婆さまは院号なしで〜と恐る恐る申し上げたところ)
(両親の『格』を揃えないとは何たる不心得、看過できぬ不孝という雰囲気バリバリで 笑)
(大奥様も(感心しませんよ)と言わんばかりに顔を横に振ってらして、我々あっさり撃沈)
(婆さま戒名も院号付きとなる)
(リフォーム工事予算が飛んだ〜泣)
訪問ナースさん達の賑やかで丁寧で温かいエンゼルケアは済んでいたが、
午後は葬儀会社から納棺師さんが来てくださり(葬儀コースの中に含まれてるらしい 笑)、
女性の納棺師さんが綺麗に婆さまの口元を閉じてくださり、
(臨終直後はいつものように大きく開いた状態で)
(エンゼルケア後、フレッサーで顎を縛ってなるべく閉じるようにしてはあったけど、薄く開いた状態だった)
(時間経過とともに柔らかくなってきちんと閉じられるのだそうです)
訪問ナースさん達のしてくださった薄化粧に更に艶と補色を加え、とても美人さんに仕上げてくださいました。
(あと、婆さまは介護ベッドに寝かされていて、いつも立ち上がりに使っていたベッド柵と自立支援バーがどうしても外せなかったのだけれど)
(納棺師さんが下部に隠れていた取り外しレバーの存在に気づいてくれて、あっさり外してくれた笑)
その後は家族による納棺の儀式となり、
黄泉路への旅支度、白羽織を着せ、納棺師さんの指示に従い、足袋、脚絆、手甲をじゃっくとワタシで身に着けて差し上げ、
三途の川を渡る際の渡賃として、揃いの硬貨を3枚(100円玉3枚とか10円玉3枚とか)白紙に包んで胸元に入れる。
同行の葬儀会社スタッフと納棺師が棺を和室に運び込み、
皆で婆さまの身体を持ち上げ、スタッフが棺を介護ベッドの上に置き、そこに婆さまをゆっくり横たえる。
(爺さまの時は男性スタッフが4~5人来て、寄ってたかって移動してくれた記憶が)
その後は町会の地区長さんに宅に走って訃報をお知らせし、
(やっぱり、亡くなった日と葬儀の日程くらいはお知らせしておかんと)
(でも昔のように訃報掲示はせず、家族葬なので町会のお手伝いもお断りした)
地区長さんのお宅まで来ると、お世話になった床屋は目と鼻の先で、
ちょっと店内を覗くと、Makiちゃんが接客中だったのにわざわざ出てきてくれて、「次の予約ですか?いつが良いですか?」と元気いっぱいの笑顔で尋ねてくれたのに、
POTE「(小声で)亡くなったの、月曜夜に。葬儀は金曜なんですけど、まだ家に居ますから、良かったら会いに来てやってください。長い間お世話になりました」と言い置いて戻る。
その後、Makiちゃんが他の婆さまのお友達にも知らせてくださったおかげで、婆さまが家に居る間にお別れを言いに来てくださる方が数人おられ、
お花やらお香典やら頂戴してしまった。
27(木)夕方、一足早く婆さまの棺は葬祭会場入りし、
28(金)葬儀当日。
さんざん迷った挙句、前々日にお知らせした婆さまの弟I川のおじちゃんはコロナの間にだいぶ足腰が弱ってしまわれ、車椅子だったけれど、
長女夫さんが平日にも関わらず車出してくださり(この日の為に仕事休んでくださった)、おじちゃん夫妻と娘3人(婆さまが可愛がっていた姪っ子達)のフルメンバーで葬儀のみ参列してくださり、
祭壇供花も上のランクを2基出してくださった。
(アリガタヤアリガタヤ)
そんな皆様の優しさと温かさに満ちた葬儀はつつがなく進行し、
(8:30集合だったから神奈川在住の甥くんのお子達は皆眠そうだった笑)
導師退場の後、棺へのお花入れ。
姫達が婆様にお手紙を書いてくれたので、「お婆ちゃん、〇〇ちゃんがお手紙書いてくれましたよ〜、こちらは△△ちゃんからですって、良かったですねえ。これ持って天国行ってくださいねえ」って言いながら棺に納め、
デイ施設が毎年誕生祝いで書いてくれたお祝い色紙が6枚あったので、それも入れて、
あとは皆さんがお花詰めて、蓋を閉めるのを待つだけと後ろで控えていたら、
最後に、婆さまの胸元に花束を置く段取りになった時、じゃっくさんが急にその役をワタシに振って、
じゃっく「お前が一番相応しい役だから」って言うもんだから、
(え〜いいのかな〜)と戸惑いながら、棺に近づき、お花いっぱいに包まれた婆さまの顔を見た途端、
ここに至るまでの嫁姑バトルや爆笑や冷戦や緊張や安堵、車椅子の重さ、段スロープの重量、ポータブルトイレ、介護ベッド、デイサービスの着替え、ショートステイの荷造り等々の記憶が奔流のようにこみあがって、
一気に感情が昂ってしまい、
「ちょっと待って」と何度か後ろを向いて、気持ちを落ち着かせようとしたのだけれど、
自分でも驚くくらい嗚咽の声が漏れ、漸く婆さまの胸に花束を置くと、絞り出すように「ありがとうございました」というのが精一杯で、
正直、その後の記憶が曖昧で(笑)、
葬儀だけでお帰りになるI川のおじさんたちに挨拶した後、婆さまの遺影抱えて霊柩車(バンタイプ)に乗り込んでからは、スタッフの指示に従って動くのが精一杯で、
火葬の炉に婆さまを見送って、控え室に待機しているうちに漸く落ち着く。
(こともあろうに、火葬場まで同行してくださった若住職に「お疲れ様でした」ってお茶入れていただくという失態)
(ワタシが入れるべきだっつーのに)
(婆さまに叱られる)
(焼き上がる前に若住職はお引き取りになられました)
半年前実母のお骨を拾ったように、今度は婆さまのお骨を拾い、
(整形外科のレントゲンでも表面綺麗だって言われてたけど)
(綺麗なお骨でした)
火葬場を出立する際、喪主のじゃっくが骨壷持って、ワタシが遺影持って、義姉上が白木位牌持って一列で車まで歩く。
喪主が白木位牌じゃないのかと義姉上夫さんが心配して「順番違わない?」「順番いいの?」って何度も聞いてくださったんだけど、単純に骨壷はかなり重いので、重いのは男性であるじゃっく担当で、この順番で大丈夫です。
(確かに、本来は喪主が白木位牌、次が遺影で、その次が骨壷ですが)
(腰のヘルニア手術で入院してた人に一番重いの持たせるのもどうよ)
(万一、落とされでもしたらそっちの場合の方が一大事)
葬儀斎場に戻り、よめこちゃんと姫達はお着替えして、保育園鼓笛隊発表会に向かう。
残るメンツはPOTE村宅に移動し、
葬儀会社スタッフが後飾り祭壇を整え、遺骨と白木位牌、遺影を安置。
仕出し弁当が届き、会食。
(漸く、ワタシ御斎の食事が食べられたよ)
(何度、当日増員した煽りで食べられなかったことか笑)
(ここん家って当日人数増えるのも、それでヨメが弁当ありつけなくなるのも「普通」だから)
(今回ちゃんと食べられて美味しかったですー)
たくさんの方の優しさと的確な手配と信頼おける仕事のおかげで、無事婆さまを送り出すことが叶いました。
ここに改めてお礼申し上げます。
ワタシの用意した艶やかな浴衣に身を包んだ婆さまと、

婆さまが以前から棺に入れて欲しいと言っておられた朱と金の舞扇。
(もう棺に入っている状態なので、影になってちょっと見えにくいですが)
(猛暑の2F必死に探して、介護ベッド入れるために2Fに上げた箪笥の中から発見ヤッター!)

冥土の土産満載で出航。
(イメージです)
あちらでは帰朝報告がいつまでたっても終わらないことかと。
(お爺ちゃんがまだ話すことあるのかって怒り出してそうよ笑)
ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
(葬儀こぼれ話やその後のあれこれはまた改めて)
(ネタは尽きない)
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