WINDING ROAD

在宅介護という名の過酷にして壮絶な終わりなき戦いの日々 自分の病気、ジツボとの関係 荒野に俺は一人だけ(笑)

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いつ親を愛せるか

少女マンガなんですが、

山岸凉子「メタモルフォシス伝」の中の、

主人公ではないサブキャラの優等生少年の複雑な家庭を取り上げたエピで、

自由恋愛ではなく親の命令で婚姻した夫婦。
家庭を顧みない売れない作家の夫、夫に尽くしても報われない良家出身の妻。
冷え切った家庭。

妻「(両手をついて)仰ってください。私のどこが至りませんでしょうか」
夫「ふん、そういうところがだよ。クソ面白くない、あいつ(外の女)のところにでも行ってくる」
妻「…」
夫「どうした、何も言わないのか」

その数年後、妻は病気を得て他界し、その葬儀にすら夫は参列せず酒場で過ごし、店の女達に詰られる。
ホステス「お葬式にも参列しないなんて、奥さんに化けて出られるわよ」「さぞ恨まれてるでしょうねえ」
夫(恨んでなぞいるものか。あいつはいつも俺を哀れんでいたんだからな。哀れんで、俺のために死んでいったんだ。感謝しているよ。死んでくれて俺はようやくお前を愛することができるよ)

ちょっとうろ覚えなので、セリフは微妙なんですが、

酷い夫、人としてありえない酷い身勝手な告白ではあるのですが、

中学生だった自分にはこの不幸な夫婦の、妻の死を表立って悲しみことも悔いることも出来ない不器用な夫の、落涙することもなく気難しい面持ちでグラスを見つめている面差しと心情の吐露は大変衝撃的かつ新鮮でしたし、

横暴な父親への反感と、その矛先を強大な父では無く、本来自分が守るべき妻にしか向けられなかった弱さと狡さ。
父が一方的に選んだというだけで愛することができなかった妻とあまりにも頑なだった自分自身さえも許し、その死によってしか妻への愛を持てなかった不幸。
がんじがらめの苦しさと、それを耐えるには己を偽り、貞節と真心を捧げ子を産んでくれた妻にも背を向けるしかなかった愚かな夫の、虚しく孤独な心の奥底を垣間見たようで、何がなし胸に迫るものがありました。

世の中の大人はもっと賢く、物事がわかっていて、正しい行動を取るものだと思い込んできたけれど、

自分の親やこの作品の親の葛藤を見ていると、実はただ年を取っていて、取り繕いがうまく、方便に長けているだけで、本当は大人もあまり世の中のことは分かっておらず、人の気持ちにも疎く、それほど優秀というわけでもない生き物なのだ ということに気づき、

この世には麗しいことばかりでも正しいことばかりでもなく、

実は不公平で非情で不条理で、

愛し合い許し合い支え合い学び合うこともできず、愛情もないまま、嫌々結びついているしかない夫婦もまた確かに存在するのだという認識は、

もともと夫婦喧嘩の絶えなかった、今にしてみれば未熟で歪な関わり合い方しかできない自分の両親だけが、特別おかしいのではなく、

そういう虚しい実らない絆もまた厳然としてあるのだという気づきはワタシにとって救いでもありました。


産んでくれて育ててくれた親だから、どんな姿になっても面倒見る。
到底叶わない深い愛情を注いでくれた人だから、老いて弱った今こそ、自分が報いたい。
親孝行、だってそれは当たり前のことじゃないですか。

そう思うことは人としてあるべき、真っ当な姿であることは間違いありません。

しかし、そう思えない親、そう思いたくない子供もいるのだと。

暴行やネグレクト、ハラスメントといった明確に虐待と呼べる行為以外にも、

何をしても褒めてくれない、口を開けば批判と叱責しか出てこない高圧的な物言い、優しく甘い口ぶりで課せられる束縛、はたから見れば羨むような慈母賢母が実は真綿で締めるように我が子を息も絶え絶えに追い詰めている事実。

早く死んで欲しい。
いなくなればいどんなに楽になるだろう。
あんたがその年でそんなに元気なのは私から生気を吸い取ってるからだ。

天に唾する行いであると分かってはいても、そう思うことでしか救われない、己を支えられない子も確かに居るのだと。

そして、その許されない呪われるべき子供の一人である己を自認するワタクシも、だからこそ陰で後ろ向きになってコソコソ放言を吐くことでガス抜きし、かろうじてバランスを保つことができている。

ですから、我が子を愛せない、老いた親に優しくできない、そう悩む方達にぜひ申し上げたいことは、悩む時点であなた達は充分優しく誠実だということ、そしてどうしても麗しい労り合いや温かな関わりあい方が出来ない親子というものも残念ながらこの世には確かにあるのだと。

親子の結びつき、孝行の形は決して一つの正解ではなく、万の結びつき、億の孝行の形があるのだと申し上げたい。


先述のマンガのシーンは真っ当な人にとっては許し難い身勝手な男の戯言に過ぎないでしょう。

しかし、母親を愛せず、母親からの愛も信じられず、家庭での己の立ち位置が見いだせずにいたワタシにとって、かけがえの無い指標となってくれたシーンでした。
(そんな下らない口実に縋りつくより、現実の母娘関係を修正するよう努力し努めるのが正しい筋道だというご批判があるのは承知しております)


ワタシと実母の関係を振り返った時、きっと実母じゃなかったら結構面白い友達や先輩だったと思います。
何が許せないって、あんな女が母親だってことがどうしても許せないし、運命の皮肉を思わずにはいられないのです。

だから、ワタシが実母を許し、受け入れ、愛することができる日が来るとしたら、

それは

あの人が死んだ後か、ワタシが死に瀕した時以外には無いだろうと思います。





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Comment

激しく同感します 

ずいぶん前に一度コメントさせて頂いたものです。
POTEさんのブログは共感することが多く、時に考えさせられたり、時に救われたり、時に笑わせてもらったりといつも楽しませてもらっています。

最後の方のきっと実母じゃなかったら・・・からのくだりは、まさしく私がそうでした。
親の愛情に飢え、内向的で友達も少なかった私は、少女マンガだけが心の支えでした。
「きっと私は本当の子じゃないんだ。いつかやさしい本当のお母さんが迎えに来てくれるんだ。」そんな妄想をしながら心のバランスをとっていました。
結婚して家を出てからは幸せでした。それが母の介護をするようになって精神を病みました。介護をされる立場になっても、相変わらず自分本位で暴言を吐く母親が憎くてしかたなかった。許せなかった。こんな女が自分の母親だなんて、と自分の運命を呪いました。
そして、9年に及ぶ介護生活がこの夏終わりを迎えたとき、私は初めて母を許すことができました。これは自分でも以外でした。きっと母を許すことなんて一生ないだろうと思っていたから。
物心ついた時からずっと、普通のお母さんのもとに産まれたかったって思っていたけれど、こんな母親だったからこそ、今の自分があるのだと思えるようになりました。
それは美談なんかではなく、母親がいなくなってやっと心が解放されたんだと思います。
(真っ当な人には理解してもらえないでしょうが)

「メタモルフォシス伝」…読んでみたいです。



  • posted by hamako 
  • URL 
  • 2016.12/04 21:10分 
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No title 

POTEさん、こんばんは
こちらでコメントできなかったので、拍手のほうで入れさせてもらいました。
なんか、禁句があったみたい
何が該当するのか、わかりませんでした。
ごめんなさい
  • posted by ぽんぽこママ 
  • URL 
  • 2016.12/05 00:05分 
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そうなんですよね。。。。 

初めてコメントします。
実母の介護歴3年目となります。
阿修羅さんのブログからずいぶん前にお邪魔し、
愛読していました。
程度の差はわかりませんが、私も呪われるべき子供です。
毎日呼びつけられ、買い物や細々とした用事はこなしますが、
母に痛いと訴えられても背中をさする事もしません。
歩行が困難な母なので、起き上がりや歩行時に手は貸しますが、
服の上から腕を掴まれるのは良いにしても、直接手のひらなど、
肌に触れられると嫌悪感を感じます。
いろんな医療機関を受診しましたが、
原因不明の腰痛等、体の痛みに悩まされている母を見て、
その原因は今までの私への暴言のバチが当たったのだ、いい気味だと
思います。
そんな愚痴を、私は子供達に吐いてしまう。
子供達も、祖母に当たる私の母の暴言の対象となっていたので、
私を理解してくれますが、あまり良い環境では無いですね。
子供達の前で母の愚痴は慎もうと思います。
どうしたって、慈愛溢れる介護なんて出来ません。
でも、やはり親だし、兄弟は遠方で知らんぷりだし、
経済的には満たされて育てて貰ったのには間違いなく、
そして、やはり兄弟の中で私しか弱った母の手助けをする
子供はおらず、少しの財産は私に若干多めに渡るよう
遺言信託してくれています。
なので、介護は仕事としてドライにこなしていこうと思います。
この先長く続くけば、又考えは変わるかも。
どちらかの死が見えたら、許せるのですか?
それはなぜ?
私は母が死んでも、今まで受けた心の傷は忘れないし、許せないと
思います。
いつになるかわからない母の葬儀で、涙に暮れる兄弟やその配偶者、
孫たちのそばで淡々と雑務を事務的にこなす自分が想像できて、
悲しいです。
こんな罰当たりな私は、母と同じ様に、最後には子供に愛されず、
淋しく生涯を終えるのでしょう。
でも、母は、私の事を冷たい娘と文句は言うけれど、ここまで心底
恨まれているとは気づいていない。
なんてめでたい人なんだろう。

ここまで吐き出したのは初めてです。
私も又、こうしていないと自分を保てない一人なんです。
西川ヘレンさんの、慈愛に満ちた介護体験を聞くたびに、
きっとその親御さんは、無償の愛をヘレンさんに注いだのだと思う。
そんな愛情に恵まれることは無かったけれど、経済的には不自由無く育てて貰ったので、母のリクエストには出来るだけ事務的には応えようとは思う。

でも愛情は伴わない。
もらっていないものは返せない。
  • posted by ZUN 
  • URL 
  • 2016.12/06 00:08分 
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No title 

私も また
幼い頃 颯爽と歩く母に必死で追いついてつなごうとした手を
思い切り振りほどかれた記憶以来
母に 触れることが出来なくなった娘です

>あんたがその年でそんなに元気なのは私から生気を吸い取ってるからだ。

    実感です 同感です

    小学校の頃 朝になるとぐったりする私を ズル休みと決め付け 
    叱るならまだしも 浅知恵にはだまされないと あざ笑った母
    父が医者に見せて 肋膜炎と分からなければ 
    私は 無理をかさねて 生きてなかったかも

    病気知らずの母には 私の腺病質もまた うっとしかったのでしょうね
    きっと 自分は母より先に逝く とずっと思っていました
    その時 母は 人前では泣いてみせるのだろうな とも

認知症の母を引き取ると決めた時
うちをよく知っている古い友人は反対しました
その時 私は
「世話はする 体も拭く おしめも替える 必ずやってみせる
 やれる自信もある でも おしめを替えてから 
 優しく手を握って話すのは 絶対できないと思う」 と言い

その友人は 自分も父を憎んでいたが 最期は腕の中に抱きとめられた
大丈夫 そんなことはない と言いました

でも 結局 情で触れる事は 一度もありませんでした

一人っ子を 15で自分の親に預けて 手放した母です
私の 幼児期からの写真を丹念にアルバムから剥がして捨てた母です
後悔はありません

ただ 亡くなって 4年もたつと
 たった一人の子供と こんなに相性が悪くて
 あの人も 運がなかったわね
とは 思えるようになってきましたよ



  
  • posted by TOMAMA 
  • URL 
  • 2016.12/06 17:36分 
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>hamakoさま 

貴方はワタシですか?

>「きっと私は本当の子じゃないんだ。いつかやさしい本当のお母さんが迎えに来てくれるんだ。」
ああああ!!!
何度、その夢想を抱いたことか。
そして、いつその幻を諦め、現実を受け入れたのか。

>物心ついた時からずっと、普通のお母さんのもとに産まれたかった
そう、まさにその思いを今もなお引きずっています。
そして、それと同時に「普通のお母さん」なんていうものはそもそもいないのだということにも気づいてしまった。
ワタシが望んでいる「普通のお母さん」は決して手に入らない蜃気楼であり、よそのお母さんの外面の一部分でしかなく、口に出すか出さないかだけで、誰もが自分の親に対し少なかず不平不満を抱き、「これじゃない」感を燻らせつつ、多くは今度は自分が親になり、その子との葛藤に苦しんでいるのはむしろ当たり前のことなのだ ということもこの歳になってようやく分かってきました。

許す 諦める 悟る 受け入れる
それらは言葉は違えど等しい意味を表しているような気がします。

それは互いに手を取り涙を流して、懺悔して許し合い、親子の抱擁で大団円…という華々しい形式を取らずとも、互いの己の胸の奥底で答えを見出せればそれで充分ではないでしょうか。

コメントありがとうございました。
  • posted by POTE 
  • URL 
  • 2016.12/07 10:45分 
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>ぽんぽこママさま 

禁止ワード厳しくなっているようで、ワタシも時々「不正なメッセージです」と怒られています。(ブロ主なのにー! 笑)
お手数おかけしました。
こちらからお返事させていただきます。

案外、姑さんとの軋轢はさもありなんというか、ダンナさんを介さなければ無縁だった人ですから、勿論仲が良いに越したことはありませんが、古今東西嫁姑バトルのネタは尽きません。
極論ですが、仲悪いのが普通なのが嫁姑ですから、そもそも他人だし、離婚しちゃえば完全の他人の間柄だしで済む、だからしょうがないと諦めることも容易です。
ところが実の親となるとそう簡単にはいかない。
血を分けた肉親の筈なのに、物事の優先順位(倫理観や金銭感覚)がまるで異なると、もう家庭は心休まる場所ではなくなり、決して大げさでなく戦場に匹敵します。
特にお金にまつわるトラブルは深刻で、それが原因で一家離散、断絶になる例は山ほどあります。
自分と今の家族を守るために、息を潜め身を隠すようにして生きておられる方も大勢おられます。
居場所が発覚すると金ヅルが見つかったと喜んでつきまとう無反省な人にはもはや何をどう訴えてもダメです。
そこに至るまでの理由と事情を聞けば同情できる点も無くはないですが、だからといって身内にしがみついてただ金を集ろうとする理由にはなりませんし、せびられるまま金を与えるのはその場凌ぎでしかなく、悪癖を一層助長するだけです。
自己反省から自力更生を期待するのは理想論で、相当な荒療治も必要ですし、何より本人に更生の意思がなければどうにもなりません。

身に不相応なお金も不幸ですが、困窮もまた人をいびつにし道を踏み外させます。
人は弱く、狡く、愚かなものだから。
それを反面教師にして、自分を律していくしかないのだと思います。

コメントありがとうございました。
  • posted by POTE 
  • URL 
  • 2016.12/07 10:48分 
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>ZUNさま 

「慈愛溢れる介護」ってあるんでしょかねえ(笑)
いや、勿論それを目指し、常に志として努めるべきだし、誰もが認める、慈愛を込めて介護してらっしゃる奇特な方も勿論存在しておられるんでしょうけれど、介護者本人の自覚と、要介護者当人の感想と、周囲の人達の評価って必ずしも一致しないようなので。

>経済的には満たされて育てて貰った
そう、ワタクシも「一応」衣食住には不自由なく育ててもらいましたので、「育ててもらった分際で親に文句言うとは身勝手甚だしく不届き千万」だと思います。
障害を持つほど暴行されたわけでもなく、女性としての尊厳を侵されるような性暴力にも遭わず、良い学校に進学し、縁故で就職し、結婚できたのは親の庇護あってのことでした。
しかし、そこに「愛」はあっただろうか。
今思うに、あの人の「愛」は常に自分への「愛」であって、子供への愛は「義務」だったような気がしてなりません。
人はそんなものだ、それをいちいち気に病んでいてもどうにもならない というご意見もあろうかと思いますが、人には些細なことでも、ワタシにとってはだからこそ看過できず許し難い出来事が幾つもあったわけで、娘としての義務は果たすけれど「愛情溢れる優しい娘として優しく接する」なんて真似は出来そうもありません。
そういう己を偽る努力と許容範囲は思春期の数年で使い果たしてしまったから。
あれ以上擬態を続けていたら、ワタシは生きていけなかっただろうから。
ワタシがワタシらしく幸せに生きる為には、どれだけ罵倒されようと母の思うような娘を演じ続けることを止めるしかなかった。
母にしてみれは大きく思惑が外れたことでしょう。
あんなに愛情もお金もかけて丹精込めて育てたのに、最後の最後で裏切られた と。
そこには異論が山ほどあるのですが、親を捨てた薄情娘という輝かしい称号を頂いた今、敢えて申し開きする気概もなく、まあ好きに言ってればという感じです。
(しかし、嫁ぎ先の義親が予想以上に長生きで介護生活が続いてるからって、それを「見捨てた」とか「薄情」とかって面と向かって言う方がどうなんだと)
ZUNさまのお母様も、お母様なりに愛情をかけ、育ててくださったのではないかと推察いたします。
でも、娘としてはその愛情のかけられ方は少しも嬉しくなかった。
その辺りのミスマッチは世間でもごく普通にあるようですが、我々のように(勝手にひとくくりにしてしまいますが)実は想いが深い気質の娘にとっては失望やそれじゃない感が大きかった分、素直には接することができない。
義務的に事務的に努めることが精一杯の譲歩なのだと。
(なかなか理解されない譲れない境界ですが 笑)

それが、ワタシ達の、ワタシ達なりの精一杯の孝行なのだと思うのです。

コメントありがとうございました。
  • posted by POTE 
  • URL 
  • 2016.12/07 10:49分 
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>TOMAMAさま 

>振りほどかれた記憶
弟や妹が生まれ、「お父さんの方へ行け」
たまに空いている膝に近づこうものなら「お前はお姉ちゃんなんだから」と邪険に追い払われた。

>ズル休みと決め付け 
長女のワタシだけ超肥大だった扁桃腺。
毎月発熱し、寝込む度に文句を言われた。

3人子抱えて、加えて夫の事務所(開業したての司法書士)の事務もこなさなければならず、
ワタシの同意無しに決定した扁桃腺切除手術は当時(S40年代後半)は普通のことだったが、麻酔が全然効かない拷問以外の何物でもない切除で、そらもー泣き叫ぶわ押さえつけられるわ血まみれになるわで大変でした。

その後は見違えるほど健康になりましたから、そこは親に感謝しろと言われ、ずっとそう思っていたのですが、ある日、そうか?とにわかに疑問が。

あれって、ホントにワタシの為だけか?
事務所の仕事の多忙と、末妹の出産控えてたから、長女の毎月発熱をどうにかする必要があっただけじゃないの?
なんてね。

まあ、巡る因果といいますか、あの人も自分の実母(女中付きでお嫁に来たいいとこのお嬢様)とは全くそりが合わなかったようですし(どうもね、うちの母親、祖母の姑に似てたみたいなんですよ 地元ではケンカ仲裁頼まれるような結構有名な女傑だったとか 明治初期の頃のお人の話なんで真偽は不明 でも、子供の目から見ても母と母方祖母の関係って妙な雰囲気でした 典型的な男尊女卑の考えの方だったようだし その辺が母が上京した理由の一つだったらしい)、自分が一生懸命産んだ長女が夫の姑にそっくりなだけでなく、成長するにつけ食事の好みが実家母にも似てきたことで、そらー自分の「敵」にばかり似てる我が子なんか見るのも嫌になりますわねえ(笑)。

それでも授乳してたら、笑う顔が段々可愛くなってきたとかで(本人談)、初めての子だから本読みも一生懸命して、教えてもいないのに街のネオンを見て商品名喋ったりしたから、絶対天才だと思った(大笑)のに、当てが外れてがっかりしたと。

…天才な筈ないだろ。アンタと亭主の子供なんだからさー。
つか、そーいうのベラベラしゃべってんじゃないよ。
聞いてる方は少しも面白くないわ。…面白がって聞くべきだったんでしょうけど。

ただ、それで色々得心できることが多かったので、不愉快ですが聞いて良かったと今では思います。今では、ね。

>こんなに相性が悪くて
 あの人も 運がなかったわね
とは 思えるようになってきましたよ

まったくもって同感です。

コメントありがとうございました。
  • posted by POTE 
  • URL 
  • 2016.12/07 10:51分 
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プロフィール

POTE

Author:POTE
家族:
ダンナ(じゃっく・仮名)
子供なし
婆さま(ダンナ母・90才要介護3 脳梗塞で左麻痺の車椅子)
爺さま(ダンナ父・2012.9逝去 享年95才 最後は要介護4の車椅子)

since2009.2.10

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