WINDING ROAD

在宅介護という名の過酷にして壮絶な終わりなき戦いの日々 自分の病気、ジツボとの関係 荒野に俺は一人だけ(笑)

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「お姉ちゃんだよ」

婆さまは家系図的には複雑な出自のひとで、
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実家 坂東家(仮名)の末娘として生まれ、
(上の兄弟が5~6人居て、長子とは20近く年が離れてたらしい)

3才の時、実母が死去。

大正の時代のことだったし、実父もかなり年が行ってからの子供だったので、男手一人では育てられず、

実母の一番下の妹(未婚)が養母となり、養子縁組。
この時点で、婆さまは実家の坂東(仮名)から実母の実家利根(仮名)に姓が変わる。

一方、今回死去された「上の弟」さんの父上山内(仮名)氏も息子二人を残して妻が他界。

こちらは男手一つで孤軍奮闘して子育てと商売を両立していたが、

縁あって婆さまの養母と再婚の運びとなり、

新しいお母さんだけでなく、優しいお姉ちゃんまで来てくれたと、山内(仮名)家は大歓迎。

婆さま16~7、上弟さん12、下弟さん8。

婆さまの養母上(叔母)は初婚になるわけですし、婆さまというコブ付き?でもあって、

当初は山内氏(仮名)の申し出を渋っておられたそうですが、
(そらそうよね)
(あちらは再婚、こちらは初婚)
(しかも、わんぱく盛りの男の子二人付き)
(こちらも年頃の娘抱えている身ではあるけれど、なかなか安易に応じられなかった養母上のお気持ちはよく分かります)
(結局、養母上の決心がつく前に、子供同士が仲良くなっちゃって)
(裏読み大得意の鬼嫁としましては、「養母上を射んとすればまず娘から」ってことで、外堀(婆さま)から埋められたんじゃ無いかと)
(でも、この結びつきが今日のPOTE村家を語る上で決して欠かせ無い密接な絆となるわけです)


血の繋がりはなくとも、戦後のろくに食べ物の無い時代。
お互いに助け合い、我慢し、工夫し、そうやって実の姉弟以上の絆が生まれるには泣き笑いの出来事が山の如く。

戦争中、両親ともに身体を悪くしてしまった為、婆さまは親に代わり町会の消防訓練に参加し、配給の米を背負い、食料を求めて見ず知らずの農家を訪ね歩き(ええ、まんま「とと姉ちゃん」戦後編です)、そうしてようやく手に入れた少しばかりの芋を蒸かし、家族で分け合って食べたそうです。

蒸かした芋を大皿に置いていたら、上弟さんがまだかなまだかなと待ちかねた様子で後ろでその様子をずっと見ていて、
ちょっと目を離して、もう一度皿に目をやったら、天盛りした芋の一部がなくなっているような気がしたので、思わず「上弟ちゃん、アンタ、上のところ取って食べたでしょう」と叱ったら、泣かんばかりの物凄い剣幕で否定されて、

後年、随分たってから、

あれだけ上弟が怒ったんだから、芋がなくなって見えたのは自分の目の迷いだったんだろう。
食べたい盛りの男の子で、あんなに待ち遠しそうに待っていたんだから、一口でも先に食べさせてやるのが姉として年上の者の務めだったのに、勝手に盗み食いしたと決めつけて責めたりして悪い姉だった と後悔なさってました。
(幸い、爺さま葬儀に上弟さんも来てくださったので、あの時は済まなかったと婆さまは何10年越しで謝罪することが出来ましたが)
(当然のことながら、当時12~3才の少年はそんなことはすっかり忘れていて、「しょうがないよ。あの頃は食べ物がなくて、そんなこと(我慢できずにつまみ食いなんての)はしょっちゅうだったんだから」とのことでした)

上弟さんと一緒に配給のお米を買いに行き、しこたま背負って上り坂を歩いていたら、坂の途中で上弟さんが荷の重さに耐え切れず、仰向けにひっくり返ってしまい、婆さまも相当な重量背負っている為助け起こせず、しばらくじたばた大騒ぎだったとか。
(リュック置いて先ず身体だけ先に起き上がればいいんじゃね?と思うんですが、17の小娘と13の少年にはそれすら思いつかなかったらしい)

ようよう生活も落ち着いてきて、お芋だけじゃなく久しぶりにお腹いっぱいお米が食べられるようになった時、
弟達に「今日はお代わり自由だから好きなだけ食べていいわよ」と促したところ、
上弟さんが「お姉ちゃんは僕達よりおデブさんなんだから、お姉ちゃんこそたくさんおあがりよ」と言ったとか。
(食糧難なのになぜか太ってたんだと)
(「水しか飲んで無いのに太っちゃうって困るわよねえ。食べて無いのに、何食べてるんだって勘ぐられるし」)

そんな昔話を延々毎日聞かされながら迎えた当日は東京37℃とゆーありえない猛暑日でしたけれど、

何処も同様に出発を急く婆さまを宥めながら通夜開始の30分以上前に到着すると、
葬儀会場スタッフが車椅子の婆さまのために、棺の窓からではなく、棺の蓋を下げてくださり、
ヨメが支えながら、車椅子から立ち、「上弟ちゃん、お姉ちゃんだよ」と呼びかけながら額を撫でさする婆さまに、

頑張ってお連れして良かったと思ったのでした。


今、ちょっと腰にきてます(笑)。
自分の体重より7キロオーバーの介助と、外用車椅子の操作でっせ。
(ハードでない訳が無い)





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Comment

 

そりゃ大変です
私も57キロの義父を車椅子と車に移乗させたり折り畳んだ車椅子を何度も抱えて車に乗せたりしましたから判ります

腰に来ないように太股で支えたり
支点を使ってテコの要領で躯を起こしたり
気を付けても病院への付き添いの日はぐったりでしたもの

まだ介護が続くならコルセットも真剣に考えるつもりでした

今日は一大イベントです
大事なイベントですけどあまり無理なさらない様に(と言っても相手が婆様と国賓なので無理でしょうが)
終わったら存分に休んでください(これも自宅介護なら無理でしょうが)
でもすみませんこれしかエールが浮かびません
本当にお身体御自愛ください
  • posted by ツンデレ 
  • URL 
  • 2016.07/10 10:13分 
  • [Edit]
  • [Res]

>ツンデレさま 

まあ、新しいセレモニーホールですので、バリアフリートイレの充実さや館内・廊下の広さ・段差無しなので、かなり使い易く助かりました。
(これが老舗のホールだったりすると、まずトイレが階段降りた先だとか、廊下が車椅子の幅ギリギリだったり大騒動)

コメントありがとうございました。
  • posted by POTE 
  • URL 
  • 2016.07/12 20:30分 
  • [Edit]
  • [Res]

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婆さま(ダンナ母・90才要介護3 脳梗塞で左麻痺の車椅子)
爺さま(ダンナ父・2012.9逝去 享年95才 最後は要介護4の車椅子)

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