東京のソメイヨシノは今日が見納めになるらしいので、
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婆さまがデイに出かけた後、東京駅から皇居、千鳥ヶ淵をぽてぽてと歩き、
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桜を堪能してまいりました。
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(ホントは昨日、婆さまをお花見に連れて行こうと思ったんですけど)
(小雨は降る、気温は2月並(12℃って、連れてくワタシが意気消沈))
(今日は民謡のボランティアさんが来る日だったので、歌って笑って楽しんできたようです)

途中、行幸通りで信号待ちしてたら、いつまでたっても信号が変わらない。
行幸通りって4車線の中央に、幅73M、距離200Mの歩道兼馬車道があるんですが、
…これは、もしかしてもしかすると…

と思ってたら、

蹄の音が聞こえてきて、警視庁警察官の先導で、皇宮警察騎馬隊に守られた儀装馬車の登場です。
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新任の外国の特命全権大使は母国元首の発する新任状を持参し、日本の元首たる天皇陛下に捧呈する為、皇居「松の間」で行われる信任状捧呈式に出席します。

あくまでも、信任式に望む大使の送迎の為の行列ですので、毎日あるわけではないですし、行列が通る時間も午前になったり、午後になったりまちまちです。
今回は一往復だったようですが、先にA国大使を迎えに行って、その後B国大使をと続けて行列がある場合もあるそうです。
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どこのお国の大使だったかはわからずじまい。
宮内庁のHPでは儀礼場所による交通規制のお願いは載っていましたが、どこのお国の大使の捧呈式かまでは記載されていませんでした。
(テロとか警戒しないといけないからなー)

馬車内には南方系の男性が乗っていたのは見えましたが、いかんせん遠いのと、ワタシの横にいたアジア系の観光客女性が馬車に興奮して、タブレットかざして凄い勢いで馬車に駆け寄ろうとしたもんだから(できるだけ近くで写真撮りたかっただけみたいだけど)、騎馬隊警官や路上警備の警官に制止されたりしてちょっとしたトラブルになって、気が散ってしまった。

「外務省やわらかツイート」(一応公式ツイッターらしいよ)によると、
南アフリカ大使と東ティモール大使の信任式で、2回行列があったようです(下々?じゃないから相乗りは無し 笑)。

そういや、大昔、バラの包装紙の百貨店で中元歳暮バイトしてた時、ハイソを気取った奥様に面と向かって「下々」呼ばわりされたことがあったわ〜(大笑)
「アナタのような下々には〜」って、う〜ん、奥様、どれだけ高級宝飾に御身を包んだところで、その御発言で残念ながらメッキが禿げましてよ。
本物の奥様は例え突っ掛けサンダルに普段着で御来店あそばされてもそんなこと仰有りませんから(ホントよ)。
近所のおばさんみたいな(でもだらしないわけじゃない)服装でいらした奥様が、おっとりした物言いで、凄く立ち居振る舞いが物静かで、びっくらこくような金額と購入数さらっと注文されて、途中から、この方の注文、自分が受けちゃっていいのか?課長呼んだ方が良かないか?と緊張で鼻水出そうになってエラい焦った覚えが(笑)

話を戻して、
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昔は各国の大使館まで馬車が迎えに行ってたそうですが、交通事情と安全面から不可能になり、コースを短縮して、現在は明治生命館から皇居間の送迎を行うことに。
公用車で大使館から丸の内の明治館に一度入って、それからわざわざ馬車に乗り換えてというのは段取りとしても面倒だし、護衛の人にも仕事が増えてご苦労様なことだと思いますが、この儀仗馬車による捧呈式は各国大使から大変人気があるようです。
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島倉千代子さんの歌で有名な二重橋から、井伊直弼が討たれた桜田門と逆時計回りに歩き、(ランニングは時計回りに走るのがルールらしい)

千鳥ヶ淵の先に、東京国立近代美術館の工芸館があります。
この赤レンガの建物は 重要文化財 旧近衛師団司令部庁舎で、明治43年に完成。
関東大震災や太平洋戦争をくぐり抜け、ほぼ完全な姿をとどめ、昭和52年に一部を改装し東京国立近代美術館工芸館として生まれ変わりました。
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敷地内には北白川宮能久親王の立派な銅像が。
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この方は親王の庶子として生まれながら、当初は都から遠く離れた江戸で僧侶として生きる筈だったのが、幕末、上野戦争に巻き込まれ、慶喜公の助命に奔走、
新政府発足後は蟄居を命ぜられたが、復帰後はプロイセン留学で軍事を学び、ドイツ帝国との関係に尽力、
日清戦争で台湾出征し台湾平定の英雄と称され、現地でマラリアに倒れ、皇族として初めての外地における殉職者となった方(享年48才)でもあります。

まだ、このお方についての学習が足らないので簡単にいうのは僭越ですが、
この大まかな概略を拝見しただけでも、孝明天皇(明治天皇の父上、皇女和宮の兄)の義弟、明治天皇の義理の叔父にあたる血筋というだけで、時節時流に本弄されながらも真摯に懸命に皇室と祖国のために尽くしてくださった方というのは確かなようです。
(留学中、ドイツ人女性と婚約したら、政府が反対し婚約破棄とか)

どさくさに紛れて、恐れ多くも習志野十五連隊所属の爺さまの若き日の雄姿も貼ってみたりする。
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馬車行列のコース(紫のライン)
↓クリックすると拡大します。
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>4/7 03:55 拍手からコメ下さったYさま
続きでお返事させていただきました。





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>4/7 03:55 拍手からコメ下さったYさま

爺さま健在の頃は疲労感半端なく、フリーデイは即寝るくらいしか出来ませんでした。
気分転換に外出を促されても気分的にも余裕がなく、身支度がもう嫌で大儀でどうしようもなく不機嫌で、5分でいいから寝ていたいのにと文句たらたら。
月に一度の美容院も(ひと月ふた月おきでもいいんだけど、根元が真っ白になっててあまりにも外見悪すぎ)途中何度も意識が途切れ(我慢できず寝落ちしちゃう)、美容師さんには大変ご迷惑だったと思います。
婆さま専属に昇格?して4年目、今、ようやく少しの時間があればあそこにも行けるここにも行けると外に関心が持てるようになりました。美容院でも寝落ちしなくなりました。
そういう拘束感と相当な疲労感といった介護真っ最中の大変さは体験しない人にはなかなか分かりにくい部分の苦労です。
いつかは終わる介護だけれど、いつ終わるのかは誰にもわからない。
終わることが全く信じられなかったかつてのワタシがひねくれ、負の感情の虜に成り果てていたことを忘れず、今現在奮闘中の全ての皆さんにエールを送りたいと思います。

拍手からコメントありがとうございました。

POTE
Posted byPOTE

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