我が家の爺様は太平洋戦争に従軍していましたし、

婆様も終戦時、20才の娘盛りでしたから、

現在の住まいが東京大空襲で焼け野原になった土地ということもありましたし、

同居以来、随分と貴重で得難いお話を聞く機会に恵まれました。


婆様は5人兄弟の末妹で、

出征していった兄たちの中には無事帰国したものの、以前とは人が変わって鬱屈した性格になってしまった方もおられ、

戦死された方もおられ、

白木の箱が家に届けられ、中に遺髪や遺品の一つでも入っているかと期待していた家族の前に現れたのは、

兄上の名前を書いた紙ひとひらだけ。
(この方は中国で戦死されましたが)
(所属部隊全滅で、いつ何処でどのような最期だったのか、今以て何も分かりません)
(そのお骨が今も中国の山中の何処かにあるのかと思うと、ワタシですら大地に還ったのだからと鷹揚に思うことは出来ないのですから)
(お身内ならば尚のことと思われます)


縁側で、その白木の箱を抱きしめた父親が声を上げて泣き崩れる姿を、婆様は克明に覚えておられるそうです。


(生きて帰って来て欲しかった)
(お国の為とはいえ、武運長久を祈ると言って、送り出してしまった)
(本当は行かせたくなかったのに)
(もう何処にもいない、顔も見られない、声も聞けない、触れることもできない)
(残されたものに刻まれる決して癒えることのない深い深い苦しみと悲しみ)

(きっと70年前の日本では至る所で同じような慟哭が)
[壁]ノ_<。)グシュ


中国に派兵された爺様(故人)と、南方に派兵された爺弟様(故人)は無事帰国し、
(勿論、簡単に丁重に帰国出来た訳ではなく)
(中国から帰国する際、爺様は、モノ同然に船に積み込まれ)
(南方戦線に送られた爺弟様は飢えとマラリアで大変な思いをなさったそうです)

守る為に出征した筈の故郷東京は、九段の坂から両国橋の辺りまで何一つ建物らしい建物が残っていない焼け野原と化し、

愕然とする暇もなく、家は焼かれたけれど、親戚宅に避難して無事だった母と妹と再会し、

それからは生きる為に、働いて働いて朝から晩まで働いて、

妹を嫁がせ、

嫁(婆様)を貰い、


どうにか人並みの生活が送れるようになった、そんなある日のこと、

当時、爺様弟さんは独身で、同居中だったのですが、

母親(先代婆様)が何気なく、「◯◯さんとこのお婆さんはいいよねえ、毎月※※円のお小遣い貰えてさあ」

爺様弟「じゃあ、俺か兄貴のどっちかが死んでりゃ良かったのかよ!」
ヾ(*`Д´*)ノ"彡

と、怒られたらしい。


…思ったことをすぐ口にしちゃうDNAの原点はここだったか…

(そのお小遣いって、戦没者特別弔意金(戦死者の三等親以内が受給資格あり)だったんですよ)
(生きて帰国出来た人は貰えない)
(もっとも、爺様弟さんは軍人恩給は貰えてましたけどね)
(爺様は規定日数より短かくて支給除外だったので、そのことは時々愚痴ってたらしい)
(同じようにお国の為に戦地に送られて、帰国の船に乗るまで、中国軍の攻撃に怯えながら昼夜ぶっ通しで飲まず食わずの敗走で、それは大変だったらしい)
(それなのに、軍属期間が数週間短いというだけで恩給貰えないってねえ)

(名誉の戦死も無事帰国も、色々あるんだなあ)





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POTE
Posted byPOTE

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