在宅介護という名の過酷にして壮絶な終わりなき戦いの日々 自分の病気、ジツボとの関係 荒野に俺は一人だけ(笑)

鎮魂の夏

「おすたか」と聞いて、10代の中には「鳥の種類ですか?」と答える人がいるらしい。

日航現役社員の9割があの事故を知らない(幼少で覚えていない)世代だそうですから、仕方の無いことかもしれません。

ワタシたちにとっても空襲や終戦よりも日航機墜落や地下鉄サリン、阪神淡路震災、東日本大震災の方が直接的で強烈だったように、若い人にとっては9.11の方がより身近な脅威で、「おすたか」と言われてもピンとこないのは理解できます。



日航ジャンボ機墜落事故から30年目の夏ということで、

連日特集番組が組まれています。

昨夜はじゃっくさんが入浴中、リビングでごろ寝したままウトウトしてたら、

ニュース番組で日航機墜落の検証やってたらしく、

『WOOPWOOP!PULL UP!WOOPWOOP!PULL UP!』

の警告音に、思わずぎょっとして飛び起きました。


あれ、嫌な合成音声だな〜。

「クライマーズ・ハイ」とか「墜落の夏」とか「沈まぬ太陽」とか、色々な検証番組で再現された墜落のシーン、俳優さんたちの形相が一気に脳内再生されちゃって、ねえ…


もう何度も検証番組で公開されているコクピットの死闘を伝える音声テープですが、

何回聞いても、あの絶望的な状況下で最後まで懸命に戦った機長以下のパイロットクルーには感銘を受けずにはおられず、

だからこそ、その決死の姿をにべもなく、520人の乗客もろとも死の淵へと連れ去った運命の冷酷さを呪わずにはいられません。



当時、ワタシは23才の会社員で、あの晩、夜7時に飛び込んできたジャンボジェットが行方不明という速報がもたらした不安、

翌朝から明らかになる惨状、

奇跡的に救出された生存者に感動すると同時に、刻々と明らかになる被害状態の壮絶さ。

そして、極限状態の中で家族に宛てて記された遺書、メモ書きの発見。

当該機は東京〜大阪便ということもあり、出張帰りのビジネスマンも多く登場しており、ワタシの仕事上での知り合い(間接的ですが)もその一人でした。

まだ34才だったその人は、東京出張を終え、前年に結婚したばかりの夫人が待つ自宅へ帰る筈だったと記憶しています。


そしてまた、生存者であるがゆえにマスコミに追いかけ回された少女。
(入院先の病院屋上に呼び出して、「大きく手ェ振ってくださーい!」とか)
(「今、どんな気持ちですか」「これからどうしたいですか」って両親妹亡くして、重傷負った10代の女の子だぞ)
(住所の番地まで平気で晒し報道してた、被害者の人権なぞまるで顧みられなかった時代とはいえ、改めてマスコミの無神経さって酷いのな)

予定が合わず、家族旅行には不参加だった実兄氏が、このところ各方面で手記を発表したり、TVでコメントしていますが、その行動もまた妹さんを守る為なのであろうと思います。
(どうしたって、マスコミは生存者◯◯さんは今、的な切り口狙ってるだろうし)
(ご本人は二度とTVの前に立つ気はないそうだから)

利便性とか
合理性とか
収益とかも大事ですが、

安全なくして運輸発展、国益発展は無いわけで。

二度と、同じような悲劇が起きないことを祈るばかりです。





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コメント

当時、まだ車がなかったので、長男を連れて新幹線で義実家へ帰省途中でした。
義実家では、私たちの安否を心配して、気を揉んでいたようです。
(近くに空港がないから、新幹線を使うしかなかったのにね)

あの頃は、羽田沖墜落やら、大韓航空機爆破事件やら、航空機の事故が多発してましたね。
先日も小型機が調布の住宅に突っ込んだり、航空機事故は、自動車より遥かに事故が少ないけれど、万一の場合の被害は甚大なものとなり、助かる可能性もほとんどないため、本当に悲惨です。

もう30年も経つのですね・・・何とも切ないばかりです。
息子たちもこの事故以降の世代です。
特集番組を見ながら
「これで生存者がいたなんて!」と
不謹慎ながら驚いていました。
それだけ悲惨で重大な事故でした。

リアルタイムで見ていた私たちは
刻々と報道される現実とは思えない光景を
どの人も震える思いで見つめていたこと
今でも鮮明に覚えています。

災害でも事故でも○年が経ったと区切りごとに申しますが
ご遺族にとっては何年経っても癒えることのない年月かと。

悲しい人を作る罪な事故が
二度と起きないことを心から祈るばかりです。
とうとう介護を卒業しました。

朝いつもどおりディに行くつもりで、玄関先にいすに座って
お迎えを待ってました。
車が見えたので、「さあ、じいちゃん行くよ、立ってね」
と促したのですが、もう意識がありませんでした。

先月心不全を起こしたときに、医者から「もう一度起こしたら助かりませんよ」
「近々起きるでしょうから覚悟してください」といわれてました。
まあそれでも普通に過ごしてましたけどね。

予告どうり心不全で旅立ちました。100歳にしては穏やかな旅立ちだったと
満足してます。
今までいろいろ愚痴を聞いていただいて本当に感謝してます。
POTEさんももう少しの頑張りだと思いますので、お体に気をつけてくださいませ。
また時々ブログをのぞかせていただきます。
子供たちを寝かしつけて
(いつ帰るかワカラン糸切れ亭主を待つ)
ようやく 自分の一人時間 

やれやれとつけたTVでした
まだ 何もかも不明のまま 延々と読み上げられる乗客名簿に
釘付けになっていた時間を 思い出します

あまりに重大すぎて 全く理解も受け入れもできてないのに
深夜まで 全く 目を離すことができませんでした

私でさえ 30年という時の長さが実感できない
遺族 関係者の方たちには きっと 昨日の事なのでしょうね
あらためて 今日のお迎え火に 鎮魂を念じたいです
ああ〜、でも、義実家様のご心配も分かります。
地下鉄サリン事件の日、ちょうど卒業シーズンで、当時は会社から徒歩10分のアパート住まいだったので、式の撮影が済んだら昼食と着替えに立ち寄る筈のじゃっくさんがなかなか帰ってこない。
え?まさか、今日都内の学校の卒業式で地下鉄乗ってたなんて…と、2時過ぎに能天気に帰って来るまで気を揉んでいたのはワタシです。
事故事件に巻き込まれたのがあの人たちだっただけで、いつ自分がその立場になって、他者から「気の毒」「かわいそう」と思われるか分かりませんね。

コメントありがとうございました。
通常番組が全て特別報道体制になってましたね。
女子社員がお弁当を食べる配膳室奥の小さなテレビで生存者の救出映像を見ていた上司が、デスクに戻ってきたらタオルで顔を覆ったまま泣いていました。
30年、小学生は立派な成人になり、20代の小生意気な小娘はちんちくりんの50代に、50代だった費とは80代です。
歴史にたらればは禁物ですが、尻もち事故がなければ、修理が完璧であったなら、ジャンボジェットの油圧系統が1系統のみでなければと思わずにはいられません。

コメントありがとうございました。
初めてコメントを頂いたのは2011年の新年でした。
以降、真面目な記事もスーダラな記事も真っ黒な記事も泣き言にも、いつも律儀にコメントを頂戴しありがとうございました。
100歳の旅立ちと、みかんさんご夫婦の解放に心よりお悔やみ申し上げますとともに祝福申し上げます。
お疲れ様でした。
これからはどうぞ心のままに、サークル活動、旅行と自由な日々をお過ごしください。

コメントありがとうございました。
飛行機が消えた?消えたって何?乗ってた人はどうなるの?と落ち着かない思いで床につき、翌朝からの報道や写真週刊誌に凄まじい現実を突きつけられ、それでもささやかな天の目こぼしのように4つの命が救い出され、道なき道、山深い尾根で奮闘する全ての関係者の姿に涙を禁じ得なかったあの夏から30年が経ったと思うと不思議な感覚です。
ご遺族にとっては苦難に満ちた年月であったろうと思います。
それでも、生き残った者は生き続けなければならない。
ただ、犠牲者の家族関係者が生存者の方々に対してさえ暴言、誹謗中傷の嫌がらせをしていたという話を伝え聞くにつけ、人とは弱く脆く残酷で卑劣な生き物であるとの思いを改めて実感します。

コメントありがとうございました。

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