WINDING ROAD

在宅介護という名の過酷にして壮絶な終わりなき戦いの日々 自分の病気、ジツボとの関係 荒野に俺は一人だけ(笑)
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ぶらり西伊豆の旅 ・3・完

松崎といえば長八。

「伊豆の長八は江戸の左官として前後に比類のない名人であった。浅草の展覧会で長八の魚づくしの図のついたての出品があったことを覚えている。
殊に図取りといい、こて先の働きなどは巧みなもので、私はここでいかにも長八が名人であることを知った」
高村光雲(仏師、彫刻家) 


長八の漆喰鏝絵は西洋のフレスコに勝るとも劣らない壁画技術として、芸術界でも高く評価されている。

両者は共に漆喰の湿材上に図絵する技法で、フレスコは漆喰面と顔料溶液との科学的融合により堅固な画面を作り出すのに対して長八は、特殊な方法で下地を作り、色彩を自由に駆使する鏝画で、薄肉彫刻を併用する長所がある。

この様に貴重な長八の代表作品約六十点を二棟の展示館に集めた、
長八美術館。
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入江長八は天祐又は乾道と号し、文化十二年八月五日(一八一五年)伊豆国松崎村明地に生まれた。
父は兵助、母はてごといって貧しい農家の長男。

生来の手先の器用さに将来は腕をもって身をたてようと志し、十二歳のとき同村の左官棟梁関仁助のもとに弟子入りし十九歳の時、青雲の志やみ難く江戸へ出て絵を狩野派の喜多武清に学ぶ。

かたわら彫塑の技を修めてこれを左官の業に応用し、漆喰を以て絵を画き或は彫塑して華麗な色彩を施し、新機軸をひらいてついに長八独特の芸術を完成。

日本橋茅場町の不動堂再建にあたっては、当時二十六歳の長八は選ばれて表口御拝柱の製作にあたり左右の柱に見るからに風を巻き雲を呼ぶかと思われる一対の龍を描き上げて一躍名人として名声を博した。

長八の生みの親、石山修武氏(建築家)は、この町との出あいを「奇跡的な出あいでした」と話す。

伊豆松崎出身の入江長八という鏝と漆喰の名人職人を知り、建築家として伝統の左官技術のすばらしさを一般の人に知ってもらいたい・・・。

その心が松崎町活性化事業と共鳴し、長八美術館が誕生した。
数多くの優能な技術者が全国から集まり、伝統の左官技術を生かした建物のあらゆる場所には、その左官の芸がちりばめられており、同美術館は「江戸と二十一世紀を融合させた建物」として今では、世界的な建築物として注目されている。

花を持つ天女(天井ドームに取り付け)
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ランプ掛けの龍(豪商依頼の作 中央にランプを掛けるフックがある)
館内照明が反射してお見苦しい点をお詫びします。
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旅館の戸袋に設置された龍(露天風呂から湯客がこの鏝絵を眺められるよう配置されていた。火除け祈願の意匠もあったらしい)
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清少納言(香炉峰の雪) 
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枕草子第二二九段、
雪が大変高く積もっていたのに、御格子を下ろして炭びつに火を付け、女房(側使え)達がお話ししていた時のこと。
中宮定子様が「清少納言よ、香炉峰の雪はどうなっているであろうか?」
と仰るので、自分(清少納言)は御格子を上げさせて、御簾を高く持ち上げたところ、中宮様は満足してお笑いになられました。
周りに居た女房達も「香炉峰の雪のことは私どもも知っておりますし、歌に詠むことはありますが、このように御簾を上げようとまでは思いつきませんでした。あなたは定子様のお側につくのにふさわしい人だわ」
と称えられた。

ってゆーのを高校の古典で習ったのを思い出しましたけど、

…うん、でも、確かに「香炉峰の雪は格子や御簾越しでなく、直接眺めるのが素晴らしいのだ」ということを承知しているのが、当時の宮仕え女性の当然の教養というか、大前提なわけで、

だから中宮さまから唐突に、謎かけのように「香炉峰の雪はどうか」と言葉をかけられ、それでもおたつくことなく当意即妙に反応し、中宮さまにご満足いただけた清少納言はさすがの才女というところで。
また、その主人である定子もまた、教養が豊かで聡明な人柄で情緒に富んでおり、清少納言が心から傾倒し思慕した女性だけのことはあるのですが、

でも、普段は御格子って上げてあるんですよ。
やんごとなき奥室の姫君はお館の外は眺めることしかできないんだから、雪が降っているのにそれも眺めず、御格子を下げてるってのが気になるんですがねー。
そもそも、これ、誰の策略?
いたずらっ気のある中宮定子のお茶目な悪戯というには、なーんか、女性だけの閉鎖社会の恐ろしさを感じるんですが。
(大奥しかり、ママカーストしかり)
(人間の本質なんでしょうけど、マウンティングって…)
(あーヤダヤダ)


鏝塚
和裁の方々も針供養なさいますけど、鏝の種類も多種多様ですから、道具に対する敬虔で真摯な職人さんの想いを感じます。
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明治初期、呉服商家として建てられた中瀬邸はわずか数代のうちに財を成し、大地主となったが、昭和六十三年に母屋や土蔵など七棟からなる邸を町が買いとり現在に至る。
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蓄音機
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人力車
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帳場
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特約呉服店の宣伝ポスター
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懐かしの階段収納
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時計塔
松崎のシンボル。
昔の時計塔は、大正13年の天皇ご成婚を記念して当時の青年団により建設された物であり、昭和13年の水害により水没、昭和62年に町づくりの一つとして復元を図り、斬新なデザインで昭和63年2月11日に完成。
この時計塔には13時の文字が刻まれており、ありえない13時に松崎のロマンを表現している。また、円形の天井には鳳凰に似た南方の想像上の鳥の姿を描き(あっ、写真切れたー!)、鳥の周囲には水の流れや春夏秋冬、夜を表す図柄が描かれている。

ちょっとでんでん虫っぽくて可愛いです。
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この後、ランチは民芸茶房のお刺身御膳と、Provence de すずきのランチセットのどっちにしようか迷ったんですが、
雲見であれだけ思う存分海鮮三昧頂いたので、今回はフランス料理に。

地場野菜たっぷりの鹿肉のポアレとパンとコーヒーのセット1,500円。
ウマウマ。

但し、見事にお客はワタシ一人だったので写真撮れず。
(連休中は賑わったと思うんだけど平日だし)
(シャッター音が店内に響き渡る 汗)

でも、皿に残ったバルサミコソースまで、パンでぜーーーーんぶ拭き取って完食したもんだから、
サーブ係りの奥さんは何食わぬ様子で黙ってお皿下げて行ったけど、まるで舐めまわしたみたいな皿見た厨房のご主人が「すげえ」と小さく呟いてるのが聞こえてきた。
(クラシックBGMかかってるんだけど、何しろ貸切状態なもんだから話や音が筒抜け 笑)

もうちょっと時間に余裕があったら、折角の貸切なんだからおしゃべりしたかったんだけど、帰りのバスの時間が迫ってて、バタバタと退散。

JRと違って、伊豆急行って、下田発16時が特急最終で、それを逃すと鈍行で帰る羽目になる。
熱海から新幹線というルートなら23時台まで大丈夫だけど、今回のフリーきっぷは伊豆急行連携プランなので、新幹線乗車には使えない。別途、きっぷを新規購入することになる。

で、乗り継ぎ間隔が空くけど、下田発15時の特急に乗る為、13時23分の松崎バスターミナルのバスに乗り、50分ほど山道を揺られ(ほとんど爆睡してた)、

17:46東京着
18:30自宅着(早!)

空路や新幹線だったらまだ現地で晩御飯選んでる頃だよな〜。

で、この日はまだ婆様もじゃっくさんも不在なので、近所の馴染みのイタリアンに一人で食べに行って、寝ますた。
(マスターがディナー料金から200円引きで食べさしてくれますた)
(つか、あれ、ランチ分量なのかな)

お一人様って、やっぱ最高!

ヮ─ヾ(#^∀^#)ノ─ィ☆彡


ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
サン━.+゚*。━ヾ(o´∀`o)ノ━.+゚*。:━キュウ!





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