WINDING ROAD

在宅介護という名の過酷にして壮絶な終わりなき戦いの日々 自分の病気、ジツボとの関係 荒野に俺は一人だけ(笑)

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鉄道博物館・2

2F 鉄道歴史年表

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旅情に満ちた表紙デザイン(左 2冊)だったのが、太平洋戦争突入後は無味乾燥な表紙(右 2冊)に、
「年末年始も増産増送 年末年始の旅行は控えませう 贈答買出しはやめませう」
「輸送増強こそ戦力増強」と国威掲揚の文言が。

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成人男性のみならず学生までが徴兵され、労働力が足らず、少年や女学生までもが勤労奉仕者として駆り出された。

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乗車中、空襲を受けた場合の車内回覧(昭和19年)。
「戦時輸送の協力者、良い旅行者として、次のことは進んで実行して下さい。
車内防空に協力すること 乗り降りの一列厳守 大きな荷物を持ち込まぬこと 車内を汚さぬこと、傷つけぬこと
こんな小さなことが何よりの輸送協力になるのです またどんな時でもどこでも“秩序を守り抜くこと”
これが戦時下の旅行心得でありますとともに、いつ何時空襲を受けても災害を最小限に食い止めるただ一つの道です
万一駅や車内で空襲を受けたら、勝手な行動は慎み係員の指図に従って下さい」

戦争を知らない世代としてはいろいろ突っ込みどころはありますけれど、
敗戦濃厚、日常的に空襲を受けながらも、銃後の備えとして真摯に乗客(国民)に呼びかけ、また国民も律儀にそれを遵守し、懸命に生きていたであろう日々。

うちの婆様は大正15年生まれの浅草育ちなので、まさにこの時代、19才の少女として明日をも知れぬ紙一重の生死を生き抜いてこられたのだなあとしみじみ。
(因みに、住んでいた浅草の家は度重なる空襲で住めなくなり、止むを得ず大森に転居した後東京大空襲があり、東東京一帯は全滅の焼け野原、浅草在住の友人知人は全員死亡)
(あのまま浅草に残っていたら、婆様も助からなかった)
(転居先の大森の家も無事ではなく、家族は無事だったけれど、そこでもまた家を焼かれ、しばらくは着の身着のままで方々ツテを頼って回り、本当に大変だったと)

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そして終戦後の混乱から日本は少しずつ立ち上がり、復興へ歩み出す。
軍備輸送の為に運行していた列車は、平和を象徴する「へいわ」「はと」「つばめ」の名を得て、再び国を支え、国民の為に特急列車として走り出した。

女性乗務員は「はとガール」「つばめガール」と呼ばれ、現代の女子アナばりの人気職業だったと。


【こぼれ話】
1951年頃、大阪12:30発上り客車特急「はと」が東海道線山崎駅付近(大阪府と京都府の府境付近)を走行中、食堂車会計係の女性乗務員がふと車外を見ると白衣の青年が線路脇から列車に向かって手を振っていた。
次の乗務時も、またその次も青年は同じ場所で手を振っていた。

やがて乗務員はその場所の通過を心待ちにするようになり、窓から身を乗り出して青年に手を振り返していた。
青年の他にも同じ白衣の男女が加わるようになり、またその場所が結核療養所「青葉荘」だとわかると、列車の他の乗務員も手を振るようになった。

病気療養中の患者にとって、毎日通過する特急列車は「早く元気になってあの列車で旅に出たい」という夢や希望の象徴であったらしい。

このことを知った天皇陛下が、1953年秋の行幸の際にお召し列車から青葉荘をご覧になって歌を詠まれた。
「山崎に病養ふ人みれば におえる花も美しからず」
この歌は後に療養所に届けられている。

またこの話は1955年、小学5年の国語教科書に「線路の友情」として取り上げられ、全国的に有名となった。


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そして国鉄から民営化、JRの誕生。

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初めて発売されたsuica(地味〜)
なぎら健壱がSuicaペンギンの着ぐるみ着て、「タッチアンドゴー」って改札通過の仕方実演レクチャーしてたっけ。

先日の、東京駅開業記念Suica販売の大混乱も、JRの準備不足が如何にも「国鉄」ぽくて笑えたなー。

2014/12/21 - JR東日本が東京駅開業100周年を記念し、20日午前に限定販売したIC乗車券Suica(スイカ)をめぐり、東京駅丸の内南口の窓口に購入希望者が殺到した問題で、同社は安全を確保するため約2時間半で販売を中止した。

2012にも、東京駅丸の内駅舎を使ってのプロジェクションマッピングに、想定をはるかに超える見物客が殺到し、案内・警備が全然対応しきれず、警察からのお叱りもあって(笑)僅か3日で中止になった、あの赤っ恥イベントから何一つ学習されてないとゆー。


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模型鉄道ジオラマ

風景や建物を精密な模型で再現。
25m×8m、HOゲージジオラマとしては国内最大級。
線路総延長は約1,400m。在来線車両1/80 新幹線車両1/87縮尺。

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1時間に1回 15分のライブショーがあり、ショーの間は観覧席に着席していなければなりませんが、ショーの前後はウインドーに張り付いて楽しめるので、小さい人たちが鈴なりですた。
(でも、団体のお子さんたちの方がきちんとしてたなー)
(引率の先生の言うことちゃんと聞いてたし)
(ママ友グループで来てた子供たちの方が怪獣並に騒いで、ナレーションのお姉さん(ライブ)の声が聞こえない有様だった)
(ひな壇席からウインドーにトコトコ〜って降りてきて)
(ママさんが「ダメ!ダメだったら、こっち来て!」と小声で言いながら追いかけてくるのが嬉しくて、wktkしながら待っていて)
(抱え上げられて席に戻されるんだけど、すぐまたトコトコ降りてきて、ママが追っかけてきて の繰り返し)
(うん、単体としてはとっても嬉しそうで楽しそうで可愛いくて微笑ましいんだけど)
(今、ジオラマショーの真っ最中ですから)
(気が散るんで、つまみ出したろかと思ったわー!)





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Comment

 

戦火の下でも鉄道は走っていたんですね ヽ(*゜O゜)ノ 改めてスゴイッ!!!

かすかな記憶に“つばめガール”がCA並みのカッコよさで残っちょります

そして 最後に一言 暮のスイカ騒ぎ わが耳を疑いましたヨ
当然 すでに引換え番号とか発行済みの人だけが対象と思ってました
アホでも分かる事が分からんとこ ホンマ 国鉄っぽい!!
  • posted by TOMAMA 
  • URL 
  • 2015.01/29 00:14分 
  • [Edit]
  • [Res]

>TOMAMAさま 

空襲警報が発令されたりすると流石に運行出来なかったみたいですけど、空襲に怯えながらも運行は継続していたようです。
「安全な運行と、お客様を無事目的地に送り届ける」使命をもって、鉄道マンや勤労奉仕に駆り出された女学生や少年達は懸命に頑張っていたのでしょう。
皇国の勝利を信じて。

戦いをするなら絶対に負けてはいけない。負ける戦に加担してはならない。不運にも負けが濃厚になった時は戦い以後のことを最優先に考え、少しでも犠牲が少なく不利益でない降伏を交渉すべき。
「必ず神風が吹いて大日本帝國は勝利する その為に最後の一人となっても戦え」
敵は米英ではなく、獅子心中の虫どもこそが天皇陛下を欺き、祖国を損ない、多くの国民を死に至らしめたのだと。

鉄道年表を見ながら、思いのほか色々なことを考えさせられました。

コメントありがとうございました。
  • posted by POTE 
  • URL 
  • 2015.01/29 21:02分 
  • [Edit]
  • [Res]

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婆さま(ダンナ母・90才要介護3 脳梗塞で左麻痺の車椅子)
爺さま(ダンナ父・2012.9逝去 享年95才 最後は要介護4の車椅子)

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