2017 / 09
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うちのお墓にある、一番古いご先祖の没年号は享保です。

享保と言えば、享保の大飢饉とか、八代将軍吉宗公の頃で、それほど古い時代から、ダンナの先祖はこの地に住んでいたことになります。

今でこそ東京23区の一つではありますが、当時このあたりは下総(しもうさ)と呼ばれ、田舎も田舎、住んでいる小作人も数える程しかいない、荒れて痩せた湿地帯でした。

初代(おそらく)のご先祖は寝る間も惜しんで、荒れた地を開墾し、それなりの家と土地持ちまでなられたのですが、

その子孫が皆が皆働き者という訳にもいかず、明治の頃、親の苦労子知らずを絵に描いたような道楽者が出現、仕事そっちのけで遊興に走り、あっという間に親の財産を食いつぶし、

住んでいた家までは取られなかったものの、跡継ぎの一人娘を残して急逝、このままでは家が絶えてしまうということで、入り婿を迎えるわけですが、

この婿殿が大変よく出来た方で、先代の道楽息子とは正反対の、酒もやらない、真面目で実直な働き者で、先代が酒代のカタに手放した土地を取り戻し、

酒類販売の免許を取り、店舗を構え、酒屋を始めたのだそうです。

因みに、この入り婿殿を迎えた家土地付きの一人娘こそ、誰あろう先代の婆様、爺様の母、婆様の姑、ダンナの祖母でございます。

明治の頃のことですから、酒屋に限らず、全ての商売、運搬、生活様式が人力で賄われていたわけで、文字通り身体が資本、動かざるもの喰うべからずの、まず労働ありきの時代です。

(スイッチ一つで風呂は沸く、冷暖房タイマーは出来る、冷蔵庫の氷は勝手に製氷される、世界中からお取り寄せも出来る現代からは想像もできない生活です)

働き者の婿殿のお陰で、店はそれなりに繁盛し、子供にも恵まれたのですが、

当家中興の祖とも言うべき婿殿は、ちょっとした怪我が原因で敗血症を起こし、急死してしまいます。

その後、6人の子供のうち、3人が次々と病死、

生き残ったのは次男の爺様と、三男と、後に東京大空襲で焼け出された妹の三人。

先代の婆様は家事から畑仕事、亡夫が残した店の商いまで一手に引き受け、爺様も弟も小学校を卒業すると家業を継ぎ、皆でそれこそ馬車馬のように働きに働いて店を守ったそうです。

大変だけれど働けば働いただけ食べて行ける、そんな平穏な暮らしが続いたのは日本が戦争に突入する前まででした。

続きます。

【ダブルで、、】
POTE様、

怒涛の更新ですね。

① 立派な先代と比べられる2代目、3代目、生き難いのか、張り合っているのか、財産をつぶしたり、不名誉なことするみたいですね。
母方の曽祖父は、当時、電信柱に投資して(悪い人に乗せられた?)大きな借財をつくり、長男、孫長男(この人が母の兄)の代までかかって、借金返済したそうです。今だったら自己破産で、チャラにするのでしょう。
孫子の代まで迷惑かけたこの母の祖父さん、騙されるくらいだから、孫にはやさしかったみたいですが、その分お婆さんがしっかり者、嫁(母の母)は苦労したようです。新潟の農家で、かつて遊びに行ったとき、持山から調達した木材が襖の戸板になっていました。一族で家を守ったのでしょう。私の従兄弟が毎年、新米と御餅を送ってくれたのですが、今年1月急逝したので、良い思い出とします。
② トイレの話題、我が家では夫、誰かが先に入ると
「俺が入ろうとするのを妨害する」といいます。
どっちが妨害かな~
二男、仕事に行くんだけどね~


【>まさひまさま】
8月の終戦記念特別企画が割と好評だったので、お彼岸ということもあり、先代の婆様について書かせて頂きました。

正しくはお彼岸は先週土曜日で明けてしまってますが、まあそこはそれ、鷹揚に(笑)

しかし、天国の先代も、繰り返し昔語りを聞かせて下さる婆様も、まさか嫁がこんな形で世に発信しているとは夢にも思わないでしょうね。

コメント有り難うございました。
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POTE

Author:POTE
家族:
ダンナ(じゃっく・仮名)
子供なし
婆さま(ダンナ母・90才要介護4 脳梗塞で左麻痺の車椅子)
爺さま(ダンナ父・2012.9逝去 享年95才 最後は要介護4の車椅子)

since2009.2.10

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