WINDING ROAD

在宅介護という名の過酷にして壮絶な終わりなき戦いの日々 自分の病気、ジツボとの関係 荒野に俺は一人だけ(笑)
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終戦記念日

太平洋戦争時、故爺さまは南京支那派遣軍近衛隊所属兵でした。

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敗戦が確定した後だったか、終戦間際だったか、

とにかく敗色濃厚の日本軍は各部隊ごとに僅かな手勢で戦場から退避することとなり、

脱出船の待つ港目指して、道無き道の奥深い山々を山中に潜む敵(中国兵)の襲撃に脅えながら、

飲まず食わずのまま連日昼夜ぶっ通しで敗走したそうです。


飢えと乾きと疲労でともすれば隊から遅れがちだった若き日の爺さま(30代前半)は、ついに力尽き、もう一人の通信兵と倒れ込んだまま意識を失い、
(本人は疲れて寝込んだんだって言ってたけど)
(失神だと思う)

幸い、後続の別部隊に発見され、意識を取り戻し、その隊と共に自分の所属する先行部隊の後を追った所、

数時間前にゲリラ兵の襲撃を受け、爺さまの部隊は全滅していた…


また、彼の人の御夫君、故爺さまの弟にしてじゃっくさんの叔父さんは赴任先が南方戦線だった為、

戦闘状態だったのは始めのうちだけで、後はひたすら渇きと飢えと病気(マラリア)との戦いで、

食べられるものは木の皮まで齧り、ミミズなんかは御馳走だった…



這々の体で帰国した爺さま達が見た故郷東京は、九段坂上の靖国神社の鳥居から両国の国技館、荒川放水路の小松川橋まで見通せるくらい建物らしき建物は皆無という一面の焼け野原で、

家は焼失してしまったけれど、幸い母(先代婆様、じゃっくの祖母)と妹(じゃっくの叔母)は空襲を逃れた千葉の近くの親戚宅に身を寄せて無事だったので、

戦争前は酒屋の二代目若旦那で羽振りも良く、芸者遊びもお盛んだった色男(苦笑 確かに写真で見ると凄い好い漢です)は、

以後、馬車馬のように働いて働いて働いて、生活を建て直し、可愛い嫁(現婆さま)を貰い、長女と長男を儲ける訳ですが、

それはまた別の話。



緒戦の勝利に浮かれ、

正しい情報精査も状況分析も出来ず、

自分勝手な英雄感にしがみつき、

多大な将兵、民間人を無惨に死に至らしめ、

領土を失い、敗戦国の汚名を被った愚かな過去。


今年も近所の川では戦没者を弔う慰霊の灯籠流しが開催されます。


虹の彼方、天の川の遠く、月と星が閑かに瞬く、此処では無い遠いどこかで、

貴方の、そしてワタシの会いたいあの人が、優しく微笑んでくれることを願います。



そういや、そろそろ夏の旅行の記事upせんと(汗)




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